こんにちは! 本多建設の本多和彦です。 |
昭和46年(1971年)大学卒業旅行に一週間ほどかけて、四国 |
半周を鉄道とバスでのひとり旅をしました。十分旅を満喫して |
きました。もっと自由でいたいとその時から思うようになったの |
かもしれません。大学から紹介を受け、試験に合格した就職先 |
をわずか一週間で辞め、新聞広告でまた次の職場を探し、 |
4月も下旬ともなれば季節外れの就職活動となり、自分の |
好きな会社を選ぶより、何とか職にありつきたくて、片っっぱし |
から試験を受け、なんとか一社に採用が決まり、当面食べる |
ことに心配がなくなりました。 |
そこも4ヶ月ほどで辞め、両親も我慢の限界とみえ、大学まで |
出してやったのに、未だふらふらしているバカ息子にもうこれ |
以上好き勝手なことをさせておけば何をするかわからず、 |
取りあえず米沢に戻し、来年度の市役所採用試験をうけさせ |
手元に置いておけば、何とか落ち着いてくれるだろうと、二十歳 |
も大部過ぎたいい大人が、未だ親に心配ばかりかけているよう |
な私でした。 |
その年9月、米沢に戻り10月に行われる、市役所採用試験 |
に応募し、試験を受けました。筆記試験が一次、面接が二次 |
試験となり、筆記で受かれば面接は大丈夫だろうと、周りから |
いわれ、筆記は合格したものの、面接で落ちてしまいました。 |
私の父親が何故面接で落ちたのかを後で聞いたところ、 |
面接態度が一番悪かったのが原因のようでした。それが |
わかったのが翌年の3月でした。生まれて二度、父親から |
殴られたことがあります。一度目が中学2年頃でしたか、 |
なまいきな口をきいたことで、平手で2発ほっぺたを殴られ、 |
親父の怖さを初めてしりました。二度目が今回でした。 |
「本多家に泥を塗った。俺に恥をかかせた。ここから今すぐ |
出て行け。勘当だ。本多の籍を抜く。」多分その時もほっぺたを |
2発くらい殴られ、ものすごい剣幕でした。 |
それから5日後、家を出ました。 |
とりあえず友達のアパートに転がり、大学時代の部活の監督 |
が自分で商売をしていたので、何でもいいから職が決まるまで |
アルバイトさせてもらえないだろうかと頼み込み、友人のアパート |
に3ヶ月厄介になり、その後自分でアパートを借りて引っ越しま |
した。 |
アルバイトをさせてもらってるうちに、社員として働かないかと |
いわれ、ありがたく二つ返事でお願いしました。その頃は |
何をやってもうまくゆかず、自由を求めて職を投げ出したのは |
はじめの頃だけで、生活を維持することがこんなに大変なことだ |
と、改めて世の中そう甘いもんじゃないよと、少しずつわかり |
かけてきたところでした。 |
47年3月下旬から49年1月末まで、その会社にお世話になり |
同年2月、勘当された親元米沢に戻ってきました。 |
退職するとき、短い在職期間だから退職金はないよ、その |
代わり現金で10万円あげるけど、どうせなら海外旅行に |
その金を使ったらどうだといわれ、もちろん退職金などもらう |
つもりもなく、生まれて初めての海外旅行が出来るなら、 |
最高の餞別となり、感謝感激でした。 |
当時の海外旅行の相場などとんとわからず、台湾か香港 |
3泊4日コースのどちらかを選べといわれ、どういうわけか |
香港を選んでしまいました。小さなツアーの団体で添乗員1人 |
含めて総勢8人というグループに参加することになりました。 |
旅費は64700円(ホテル代、食事含み)にマカオ観光費用 |
8500円、総計73200円でした。今から42年も前の相場です。 |
つまり昔も今もたいして変わらないもんだと感心しました。 |
当時米ドル1ドルが200円くらいで、香港ドル1ドルは確か |
60円くらいだったはずですから、今と比べればかなりの円安 |
だったからでしょう。 |
昭和49年(1974年)1月17日午後6時50分羽田を発って、 |
夜の11時半香港国際空港に着きました。 |
2015.07.08 |
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