(春・千葉の海岸)
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ハワイを嫌いな人はいるだろうか?
今の20代にきいてみたい。
ギラギラの海・ヤシの木・みなと・ハワイアン・・・
80年前、"負け"を覚悟した戦争を日本がハワイ・真珠湾に仕掛けたのだ。
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広島原爆ドーム・世界遺産登録から25年という節目とも重なり
メディアは戦争の傷跡を、毎日何かしら伝えている。
(12/9 日経新聞・夕刊のコラム)小池 光 著
・・誰かが誰か(戦争ではぐれた人)を必死で探している。・・・
「尋ね人」(ラジオ放送)は昭和37まで放送・・(中略)
「戦後」はそこまで続いたのである。
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昭和37年は、私の生まれた年である。
実家・駒込の近くの「巣鴨トゲぬき地蔵尊」の縁日(4のつく日)や神社の縁日には、
必ず門前に負傷兵姿の2人組がありました。
アコーディオンを弾きながらアルミのお弁当箱を地面におき、何時間も寸志(お金)を乞う姿。
折りに一人が片足で松葉づえをついていたり、台車もどきに座っていたり。
義足無しの足・・それをお金に替える。
半世紀前の日本の一面です。
なぜか私の記憶の中で、彼らの衣装はいつも"白"でした。
(定かではありません)
私 「あの人たちはどうしたの?」
母 「見なくていいよ。」
そんな会話をしたような・・・
大人になって考えると、昭和37年まで負傷兵?、帰還兵? がいたということは、
"お弁当箱" にお金を入れる人がいたという証。
そうです。当時人々の心にも私の心にも「戦争」が存在したのです。
(門前の帰還兵らしき二人が、本当に戦争を体験したかどうかは別問題)
心に「戦争」がない"幸せな人たち"のことを考えても、
今日のように、記念日に式典が行われることは意義があると思います。
海外メディアでも「原爆投下」が真に"必要"だったかどうか、いまだに論議が絶えません。
(春・沖縄 本土)日本で唯一地上戦が行われた地。
・・・話、変わって
沖縄は"日本ののハワイ"ともいう。
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「戦争を忘れてはいけない」 正しいかも。
「すでに核戦争は起きている」 残念ながら確か。
「コロナで失業した人は、戦争ニュースより明日の食べ物に憂いている」 現実。
過去の戦争を論じる "現在" は果たして「平和」なのでょうか?
でなければ「平和」はいつ実現するのでしょう。
(2012年より、日本の長岡市とホノルル市(真珠湾のある米ハワイ・オアフ島)が姉妹都市となり、親善活動がなされている)
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オミクロン株の流行が懸念される中、町はクリスマス商戦真最中。
人々の購買意欲も日本の経済を支えている。
~~~アメリカ人の友人談~~~
「日本本土と沖縄」と「アメリカ本土とハワイ」はよく似ている。
元々は別の国。(沖縄は琉球王国・ハワイはハワイ王朝)
そして2王朝とも本土に統一された。
2つとも"美しい海"と"戦争"で世界に知られている。
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