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渋沢栄一 第二のふるさと佐久 「内山峡之詩」建設の真相

昨日は、佐久穂町文化芸術講座の一環で「渋沢栄一と佐久~『内山峡之碑』建設の真相~」で講師は、佐久市臼田文化センターの上原美次先生。
新しいお札の顔で、一躍脚光を浴びた渋沢栄一。
しばらく前のNHKのドラマで取り上げられていたから、わりと馴染みのある方。
群馬は長野のお隣で、生家の藍の商売で早くから・・・・・14歳から年に4回来ておられた由で、我が家の近在はその通り道にあたっていたものと思う。
講師の上原先生は同窓で、この度の母校創立100周年の記念誌の編集委員長であられる。
そんなこんなで、編集委員の私はこの方と共に、もう2年も顔を突き合わせている(笑)
学校の先生を退職されて、今は歴然とした郷土史研究家。
その範疇も広い・・・・・・歴史は繋がっているからね。
講演の中身は、渋沢栄一の過去を丹念に史料で裏付け。
いやあ~あるものですね旧家にはと私はもっぱら感心しきり。
断捨離の世界ではないわね(笑)
150年以上前の書類が取ってあるのね。藍玉の商売の書類なんだけど・・・・・今更に税務関係の保存期間は7年という時代ではないわね(笑)
今位、紙をやたらに使う時代じやあないもの。
渋沢栄一が江戸から明治に変わり、その後の活躍はテレビドラマでご覧になられただろうから割愛させていただく・・・・・・今回の講演内容も佐久関係に絞ってあったので。
それでも今回の「内山峡の詩」が栄一19歳の時というのが驚き。
昔の19歳って満年齢でないから、もっと若い時なんだわね。
漢詩でね、それも。制作されたのは安政5年1858年のこと。
当時の人の教養の高さに驚かされる。
この詩を碑にしたのは昭和15年1940年のこと。
栄一は昭和6年1931年に91歳で永眠されている。
碑を建立するいきさつは講師は、丹念に史料を集めて詳細に説明してくださった。
この頃は写真が残っている。
時代を経ると、当時のことを知る人はだんだん少なくなっていくから、写真に説明や映っている方のお名前が記載されていると歴史的史料になるのだわね。
今回、放浪の詩人と言われていた三石勝五郎さん、写真に説明文を書かれて残されていたと言うのに驚き。
私が高校生の頃も、着物に袴姿で歩いている姿を拝見したことがあるが、放浪といわれるようなイメージが先行していて、今回見直してしまいました(笑)
たぶん多くの方がそう思われたハズ。
実家の一族に三石勝五郎さんがお嫁に来ていて、その若い日の写真を拝見したらすごい美人でびっくりしていたんだわ。
詩作も残されていて、時たま出会います。
ともかく昭和15年に碑を建立した真相・・・・・・この年が紀元2600年というのがあるのでしょう。この年日本中でいろんなものが建てられたとのこと。
それと、残されている写真の何枚かに内山峠から群馬に抜ける道路の改修工事の責任者であった郡会議員の中山益治氏が映っていました。
長野と群馬の道路改修で、お互いに共通する渋沢栄一はまことに適材適所ではなかったかと。
建立に当たっての写真の数々は、佐久の文化人の姿でもあるようです。
終わった後、後ろの席のご婦人が、紀元2600年の意味を知りませんでしたが、地元のお宮の碑に、ご先祖の名前とこの年の年号があることに納得しましたと話されました。
ただいま、佐久も渋沢栄一ブームですよ~。
読みいただきありがとうございました。
 
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