今日は、望月公民館の歴史講座の3回目。
「この石仏って何!」全3回の最終日でした。
「春日入新町百番観音石仏群」を訪れました。
公民館であらかじめレクチャーしていただいてバスで移動です。
百番観音は、西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番の観音霊場の巡礼を1か所で可能になるように設置したもの。
江戸時代から明治にかけて、入新町村名主「武田キ右衛門」が春日を中心に、布施・気をうわ・佐久・浅科など広く寄進者を集め造立した。
霊場に入ったところに「百番供養塔」があり、そこに願主の武田キ右衛門の名と、石工 伊奈郡笠原村 矢島楢蔵永と小平菊弥の名が刻銘されている。
現在の伊那市の高遠からきていたらしい。
高遠は石工で有名らしかったらしい。
これ以前にこの山の岩窟に馬頭観音を祀っていたことが推測される。
江戸中期の宝永五年(1708)に、本地で修業していた「山居沙門法印宥伝」が当山中興開山。
その当時の祠が残されていて、近年まで堂があり堂守りがいたという。
今はその辺りは崩れていて建物があったようには思えないけど、堂はいまでもきちんと手入れをされていて、この山の持ち主が修理した時の棟札もあって興味深い。
石仏は120体ほどが獣道のような道に沿って見られた。
今までの2回のパターンでは、石仏を写したのだが、今回は山道から滑り落ちない方に気持ちが行って、どなたも画板を広げる方はいなかった。
この石仏が、何なのかが一番の問題(笑)
聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音。
以上は先生のご用意していただいた資料から。
まず蓮の花を持っているか・・・聖観音がこれが元になっていろいろな観音さんに分かれている(?)
そして頭がぼこぼこ見えると十一面観音。
片膝付いて頬に手をそえているのは如意輪観音。
如来観音の頭には何もない。
如来は一番の上だから何も付けていない。
馬頭観音は頭の上に馬を載せている。
はい、この程度の知識で、私見極めます。
なんたって風雪にさらされていて、さらに崖の上だったりして・・・・よくわかりません。
今回の歴史講座を受け、確実に興味の範囲が広がりました。
車で走っていても、見つけると停めて、眺めて写真を撮ります。
でもまだまだ分からない石仏はいっぱいです。
でも物が見えるようになるということはうれしい事です。
集落の古い道の辻には、今もたくさん立っています。
古の人たちがいろんな願いを込めた物なのです。
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