今年1年は地域の祭典のお当番(3人1組)ということで、先日来、祭典の日に飾る旗の道具が回ってきていました。
お当番とは私の認識では、春祭りと秋祭りに幟を立てる役目位しかありませんでした。
つい最近まで、幟だったのが、日の丸の旗に変わっていました。
夫が日の丸の上に付ける金色のボールが壊れているからと、接着剤で補強していました。
「旗は大丈夫ですか」と聞きましたら、前任者がそろそろ新調したほうがいいと言っていたとか。
その言葉が気になって広げて見ましたら、凄い状態になっていました。
日の丸、近くで見ると結構大きいのです、長辺が2m位あります。
その裾がほつれてというか切れて、40~50㎝も垂れ下がっていました、4枚共。
お当番は前任者から引き継いだものを当日持ち出していくのでしょうね。
そこで気が付いても、時間が無いので、垂れたままだったのかもしれません。
まだ5日程日がありますので、裾を全部カットして縫い直しをしました。
ミシンはとうに処分してしまいましたので、チクチクと手縫いで補強のため、一つの裾に2本のラインを入れました。
夫がこれでしばらくは大丈夫と。
引き継いだ箱を見たら、毎年のお当番が明治20年頃から書かれた綴りが出てきました。
昭和30年以前位の物までがありました。でも皆さん達筆で読めません(笑)
あらー、面白そうではありませんか、今年中は我が家に滞在する古文書です、ひも解いてみましょう。
今朝、コピーを取り始めました。
それで分かったことは、順番に綴じられている訳ではないことにです。
その年度に記録されたのを、途中どなたかが綴られたのでしょうね。
半分程コピーしたところで、前後が分からなくなってしまいました。
まさかバラしてとる訳にはいきませんから。
世界の歴史も日本の歴史も勉強しましたが・・・・いえ最近は世界史勉強しないらしいですが。
地域の事を知るということがありませんでした。
明治になってからの、地域の歴史の一端が記されていますが、最近の物はとっても簡単です。お当番の順番だけしか記されていません。
その昔は購入した物品と金額も書かれています。祭典が行われていたのでしょう、その中身を見ると分かります。
今や、幟や旗を上げ下げするのみ・・・・私の認識もその程度でしたから。
この綴り、初めて見ました。15~16年前にも当番でしたが、その当時は義父の名前でしたから、我が家に来たとしても現役の私たちは芽にすることもありませんでした。
この手の物何もかもが簡単に済ませたいという傾向があります。
我が一族の先祖祭りの記録も、ちょうど同じ頃からの記録が残されています。明治のその頃はそういうものをきちんと残そうという時代だったのでしょう。
女性たちが続けてきている、十九夜様の記録も、最近は残されない傾向です。というより存続していくこと自体が風前の灯でしょうか。
これからは空き家が増えていく田舎です。地域に連綿と繋がってきたものが、ここしばらくの間に消えていってしまうかもしれません。
我が国の人々の目指していく将来ってなんなのでしょうか。
ちなみに、私が補修した「日の丸」は昭和39年購入の領収書が添付されていました。
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