昨日は本当に暖かい日でした。
花粉症が始まり、私の周囲でもいよいよです。私は桧なので、おおかたの方が終わったあと。
昨夜はお雛祭と結婚記念日と1日早い孫の誕生日祝も兼ねての祝宴を開きました。
何が一番喜ばれたかと言えば、いくらの醤油漬け(笑)私作だからとっても薄味でごはんにたっぷりとのせて至福の様子でした。
今日はお雛様を片づけます。
3月の長野労基のひと口コラムは、オリンピツクイヤーがらみののお話です。
「アマチュア主義を貫くIOCに埋もれてしまった悲運の名選手です。
最近オリンピックにもプロの選手も出るようになって変わりましたね。
私が本当に子供の頃にオリンピックに出た選手の家は、土地を売ってそのお金を費用にしたという話がありました。
今の様に強化選手というようなシステムもなかったから、名誉だけのためにだったような気がしました。
そんな頃より時代は少し進んだ時代のお話です。
以下引用です。
昭和47年の札幌五輪、開幕3日前になって、IOCは男子アルペンのメダル候補シュランツ(オーストリア)を失格にしました。
メーカーの宣伝に協力し、代わりに用具などの提供を受けたことがアマチュア規定に違反するとのことですが、企業の援助を受けている選手は他にもおり、その中でシュランツ一人だけの処分だったことにオーストリアが反発し、選手全員の引き上げを決めました。
が、シュランツ自身の説得もあって、アルペン王国の総引き上げは開会式前日ぎりぎりで回避されました。
シュランツの帰国には10万人が英雄として迎えたそうです。
実は、前回のグルノーブル冬季五輪で地元のキリーが滑降、大回転、回転で金となり、三冠王に輝いています。
最終種目の回転では、シュランツがキリーを上回ったものの、「旗門不通過」により、キリーの金。
しかし、シュランツは「誰かがコースを横切った」との抗議が認められ、再レースとなった結果、シュランツが最高タイムをマークしました。
ところが2時間後、「一度目のレースで、シュランツが抗議した妨害行為は、旗門不通過の後だった」と判定され、結局キリーの金となりました。
雪辱に燃えた札幌冬季五輪の三冠王候補シュランツは、戦わずして追放の憂き目に遭い、悲運の選手となりました。
以上引用終わり。
何かドラマですね。
オリンピックの代表になるほうが、本番より大変だなと思っています。
仕事の片手間のスポーツでは世界では戦えませんね。仕事がスポーツという方もいらっしゃるような気がしますが、豊かな国でなければできないですね。
地元佐久長聖高校出身の大迫選手とっても頑張りました。オリンピック代表になって欲しいです。
世界中のオリンピックを目指している人の為にも、コロナ騒動が終焉することを願っています。
依田 美恵子
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