なかなか涼しくなりきれない日本列島ですね。
13日の重苦しい程の雲天から、14日の運動会は雲一つない日本晴れでした。
この落差。
孫男子2人の応援に夫とちーちゃんと出かけていきました。
小さな小学校です。
だから競技と競技の間がゆっくりしています。
3年生のダンスの後で集合写真用に並んでくれました。
2人共かけっこもリレーも頑張ってくれました。
組体操の5年生、見ていて体幹がしっかりしていてとてもきれいでした。
もう3年運動会が楽しめます。
帰宅して、久しぶりに庭の草取りをしました。一見きれいにみえるのですが、目を近づけると芝系の草が地味に花を咲かせています。
幸いにも上天気でしたから、見る見るうちに枯れていきました。
15日は最後のプルーンの収穫です。軽トラに夫が採集カゴをたくさん積みました。
そんなにあるのかしら、と内心思ったのですか、まあー足りないよりもいいかもと。
まことにその通りで、2時間ばかりで取り終えてしまいました。もちろん空カゴを持ち帰りました。
「思っていたより生っていなかった」そうです。
午前中に選別・箱詰も終えてしまいました。
体力的にはとても楽でした。
ただお届けできない方が大勢でそれが心苦しいばかりです。
プルーンの収穫の終わりはすべてのプルーンを家の外に出して終わりですから、ジャムづくりも並行です。
空箱もパックもすべて所定の位置に片付け・・・・本当に終わりました。
送っただけくる電話。良く義父が言っていました。その頃の電話受け係はもっぱら私でした。
しかし今は昼間収穫、夜選別・箱詰とすべてを担当するようになって、送った分だけくる電話、一晩に10本も20本も受けている時間と体力が無くなって、皆さんに着いたという電話はいりませんとお願いしています(笑)
私も良くやってしまったのは、生産者が送ってくれたのに、長々電話をしてしまったこと。きっとご迷惑だっただろうと学習したのでした。
プルーンの収穫をしながら、亡き義父のことを思い出しています。
17~18年前プルーンデビューした私です。
ある日プルーン畑に行って見ましたら、プルーンの収穫なら私に出来そうだと思えたのでした。
それ以前は桃を作っていましたが、桃の採り旬は難しいので採集カゴに並べる手伝いをしていました。
桃を止めてプルーンを作るようになって、木が最盛期を迎えていたのでした。
私の参加を一番喜んだのは義父でした。もう1人では限界だったのでしょう。
それ以来プルーンの収穫の時期は農家の嫁をやるようになりました。
80半ばを超えた義父が体力の限界を感じ、ご贈答用の若木だけ残して木を伐りました。
退職した夫が今その木を作っています。
昔に比べれば出荷していないのでとても気楽です。
若い頃から農業で体力を付けていた人と違って、デスクワークだった夫も私もそうそう出荷できる程、たくさん作る余力はありませんので、お楽しみ程度をもうしばらく頑張ろうと思っています。
プルーンを採りながら亡き義父に教わった数々の人生のさりげない教訓が次々と浮かんできたのでした。
依田 美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅・涼温な家 中島木材の家
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