2日目というか初日の出発が23時半でしたので、日程表は3日目となっています。
ペナン島の観光です。南北24キロ、東西15キロのインド用に浮かぶ島で人口70万人で過半数が華人です。
本当に古い歴史はありません。
250年前にイギリスが来た時の要塞や1818年に建築された東南アジア最古のイギリス教会は白亜のきれいな建物を見ます。
市の役所などがなんとなくヨーロッパ的なのはこの国の歴史そのものです。
たちまち大きくなるという、この国の樹木が彩をそえています。
昭和天皇が皇太子時代に訪れて植えられた木も大きく育っていました。NINISL LLLNGIとありました、何の木なのでしょう。
観音寺はペナン島最古の中国寺院です。境内で小鳥が売られています。買って逃がすのだそうです・・・・功徳なのでしょうか。
そしてさらに人待ち顔の人が大勢いました。この国は何かいいことがあると、人にお金を配るというか施しをする人がいるのだそうです。
その不定期な施しを待っているようでした。
ごく普通に見える女性が、ちょぅど施しをしていました。1人に1リンギットずつでした。日本円でいうなら30円弱です。
「ないよりいいでしょう」とはガイド氏。そしてただ施しを待っているのはいいことではない、とも。
カピタンクリンモスクは1801年に建てられたマレーシア最大のモスクで、美しいミナレットが付いていました。
もうお分かりかもしれませんが、多民族多宗教の国です。そして信仰が厚いのでしょう。誠にお寺にモスクに教会がいっぱいなのです。
それが本国とは少し違った形態で建てられているそうです。
まさしく今回はそれを見る旅というか、一般の観光客にはそれしか見せるものがないのかもしれません。
そして「ハイ写真を」と・・・・う~ん写真の旅なのと思うほど、早く言えば、外から眺めるだけがほとんどなのでした。
信仰の場であって観光のためのものではありませんから、当然ですが。
まあーそんなに見ても理解も記憶もできません。自分の中にその受け皿がないのですから、写真があれば後々で理解できることもあるでしょうね。
それでもガイド氏はすばらしかったですよ。
抱負な知識で、いろんな説明をしてくれましたから、たんに観光だけにとどまらなかったのは確か。だから今回の旅満足できたのでした。
中国・・・華僑というのでしょうか、その方たちの集会場がいたるところにありました。
姓が同じ人たち・・・・林さんとか葉さんとか、同族の人たちが異国に来て助け合ったのでしょう。そして後から来た人たちに手を差し伸べたのでしょう。
また潮州会館というように、中国の潮州から来た人たちの会館もあり、郷土の結束をはかったのでしょう。
しかしここにきてここに集まる人はいなくなってきているそうです。今はお参りする場所に変わっていました。
菊の花を売っていました。日本に輸出されているそうです。日本で改良した種を持ってきて育てているのだそうです。1年十つくれるということは‥‥日本の花き農家では太刀打ちできないですね。
マレーシアもお供えに菊の花を使うのですね。
初日ホテルのロビーで黄色い小菊を見たとき、まさに日本の花と思いましたもの。
インドの人が多く住むリトルインディアでは、お米を道路に撒いていました。ハトがいっぱい寄ってきますが、これは商売繁盛の願いのようです。ここの屋台で売っているコーヒーには練乳がコーヒーの4分の1も入っているのだとか。
そうですね、インドはコーヒーにお砂糖を目いっぱい入れている国ですものね。
インド料理店の看板にアラビア語が入っているのは、インラム教の人にも対応できる食事ができることを言っているのだとか。
ここで有名なのがウォールアートです。建物の壁のあちこちに描かれたユニークな絵です。
ここの人気によってなのでしょうか、ほかの街のあちこちで目にしました。
涅槃仏寺とビルマ寺院は向かい合っていました。ビルマ寺院のド派手なこと、度肝を抜かれるって感じでした。
涅槃仏はさすがに大きい・・・1958年につくられたものです。独立した年でしたかしら。
ハイ、お決まりののお土産さんですが、次回にします。
お読みいただきありがとうございました。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅・涼温な家 中島木材の家
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