時期です、街路樹のサルスベリが盛り上がるように咲いています。この花は暑さが似合う花ですね。
このところの暑さで、テレビに映る道を歩いている人の姿を見て、帽子を被っている人がほとんどいないようなのですが。
食卓で隣のちーちゃんの横顔を見ながら、「焼けたわ」と思います。パパに言わせると小学生のうちのほうがプールの回数があったからもつと黒かったと。
そうなのでしょうが、ソバカスみたいなのが見える気がして落ち着きません。
帽子かぶったらと提案しますが、誰もかぶっていません。
ある日突然シミがでるのよね。
ママだったらどう対処するかしら・・・・日焼け止めかな。
車にのることが多かった私、去年あたりから、右腕にシミが見えるようになりました。
正直なものです。
だから・・・ちーちゃんに「色の白いは七難隠す」というのよなんて、古い諺を教えたりするのですが、私だってこの年齢まで対処してこなかったけどね。
長野労基の8月のひと口コラムです。
雑学みたいなものですが、今回の「『世界発の缶コーヒー』、開発は日本」です。
このお話はかなり有名で私も以前聞いたきいたことがありますので、ご存じの方も多いかもしれません。
でもその苦労の部分までは、ご存じないかと思いますので、最後までお読みくださいね。
以下引用です。
今や飲料系の自販機には缶コーヒーが当たり前ですが、50年前、その開発にはかなりの苦労があったようです。
ズバリ、缶コーヒーはUCC上島珈琲の上島忠雄さんによって開発されました。 新商品開発には得てして思いがけない秘話がありますが、上島さんが、ある日駅の売店でビン入りミルクコーヒーを飲んでいたところ、発車ベルが鳴りだしたので、飲み残したまま列車に駆け込み「あーもったいない」と思ったのがきっかけ。
飲み残した無念さから缶入り開発に乗り出したものの、①ミルクが分離して缶上部に浮いてしまう。②高圧殺菌による加熱臭で風味を損ねる。③缶内部で化学反応が進んでしまう。
この3つを克服することが難しく、何回も試作を重ね、使われた缶は大型トラック数台分。
そして、ついに昭和44年、世界発の缶コーヒー「UCCミルクコーヒー」を開発しました。
1本70円で売出し、社員が売店で「缶コーヒー」と大声で買ったり、列車の窓際にわざと缶を並べて目立たせるようなことをしましたが、一向に売り上げは伸びず。
ところが翌45年に開催された大阪万博が思いがけない追い風となり、万博会場で爆発的に売れ生産が追い付かないほど、一気に缶コーヒーが知れ渡りました。
現在はコンビニでレギュラーコーヒーが増えましたが、缶コーヒー全体で年間7000億円を上回る売り上げとなっています。
以上引用終わり
まさしく私の青春時代と重なる出来事でした。
依田美恵子 軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家 <div align="center"> <strong> 【 中島木材のホームページは <a href="http://www.nakajima-sc.com/" target="_blank">こちら</a> 】 </strong> </div> <a href="//house.blogmura.com/chumonhouse_contractor/ranking.html?p_cid=00352122"><img src
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