お盆の16日の朝、道祖神の「どっこい・どっこい」の片付けをしました。ちーちゃんパパはお仕事でしたから、夫が代役です。 道祖神は私かちーちやんパパが出席できない会議で受けてきた役目です。
この朝、小雨というか霧ぶったようないい天気ではありませんでした。
山車を保護者が買いたいして、子供たちも一緒に道具類を保管用の倉庫に運びます。
紅白幕と提灯が茶箱に入れられました。ここに入れて倉庫に入れたら来年まで開けられることはありません。この湿気を含んだまま仕舞うには心が痛みました。
乾燥させてから仕舞いましょうと夫に提案して、自宅に持ち帰りました。
8月は天候不順で休日と晴れが重ならないままに、9月になってしまいました。
紅白幕干してと思いましたが、埃っぽくみえます。色落ちするか確認しましたら、それはなさそうですが、洗濯機で洗うほどの強度はなさそうですから、手洗いしました。
そしてしみじみと眺めると・・・・・痛んでいます。提灯にロウソクを使っていた時代の名残でしょうか、焼けていたり、かぎ裂きだったり、欠けてぬけている場所も何か所もあります。
何時つくられたものなのでしょう。30年前の息子の時代も使っていたから、さらに年季が入っているのでしょう。さらに倉庫の中の高温で布が劣化しているのかもしれません。
例年準備の日に取りだして、傷んだところはガムテープで補修したりして、取り付けていたようです。
そして終われば即茶箱に入れてを繰り返してきたのでしょうね。
この作業はお父さんたちの分担だったから、息子の時代にも私も手に取ってみることはありませんでした。
しかし、こうして目にしてしまうと、このまま茶箱に戻すわけにはいきません。
タンスの中に仕舞ってあった、ちーちゃんママの岩田帯の紅白の布を出して、補修を始めました。
切ったり貼ったりです。
衣類に継を当てた物を最近は見たことありません。私だって継の当ったズボンをはいていた同級生を見たのは中学性の時が最後でしたもの。
それを見た時、彼のお母さんはえらいなあーと感心しました。
あーあ、そんなことありません。我が家の息子、野球部でしたから、ユニホームのズボンの膝補強したこと思い出しました。
そうなんですよ、継ぎの経験がないのです。家庭科で習ったかもしれません・・・・。
まあそうなのですが、見ていたのですね母の手仕事を。別に注目して見ていたわけではありませんが、知らず知らずのうちになんでしょうね。
母は雑巾を毎日縫うのが日課で、それも新しい生地ではなく、いろんな物をはいだり継いだりして縫うのが好きでした。
自分の物をすべて処分しきってと言う訳ではなかったけれど、ひたすら針を持つのが好きだったのでしょう。
今の私なら、その気持ちが分かるような気がします。
キルトでも勧めたら嬉々として縫っていただろうな・・・・あの頃の私は気が付きませんでした。
見よう見まねとはよく言ったものです。
夫が「紅白幕の幅が広すぎる」と言います。たぶん既成サイズそのままなのでしょう。それならば少し巾をカットできる余裕がありそうなので、まさに二つに裂けようとしている所をカットしてつないだりもしました。
結局修復は20ケ所近くとなり、ありとあらゆる方法を使い、休日の1日をこの作業に費やしたのでした。
「誰に見られても恥ずかしくない仕事」の言葉が度々脳裏を横切りますが、所詮は私の針の腕では無理なことです。。
こうして針を持っていると、亡き母に向かい合う時間を過ごすこととなります。
見れば見るほど手をかけたくなる。ひょっとして私にも母の「継いだり接いだりが好き」のDNAが受け繋がれているのかもしれないと思えるのでした。
つまり私も針を持って、ここをどう仕上げようかと工夫するのが楽しいのです。
これからも、当番がその日に蓋を開けて出し、終わればその日に仕舞われるでしょうから、そんなに私の仕事の出来を見る人はいないはずです。
だから安心して・・・・楽しんでしまったのでした。
次年度への申し送りに「紅白幕はそろそろ新調したほうがいい」と書いてもらうことにしました。
依田 美恵子 軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家 <div align="center"> <strong> 【 中島木材のホームページは <a href="http://www.nakajima-sc.com/" target="_blank">こちら</a> 】 </strong> </div>
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