我が家の庭に水仙が咲いたのが一週間程前のこと。遅い春の訪れだったけれど、一雨ごとに春がやってきました。
野スミレの花も一輪。
いやいや喜んでいられないのね。草がどんどんと生えてくるのね。
毎日バケツに1つ草取りをするのをノルマにしているのだけれど、裏庭の植木の下に取り掛かったら、あっという間にバケツがいっぱいになってしまうのでした。
だからノルマを2つに。
ちーちゃんの新学期も始まり今日は参観日とPTAの総会。
先日社長の奥さんから聞いた話。小学校に持っていく雑巾のこと。手縫いの昔ながらの雑巾を使っているのは、社長の娘2人とちーちゃんだけらしい。
どこかに忘れて置いても、戻ってくるのだという。
そうなんだあー。
たしかに売っているものね。
実家の母は最晩年まで雑巾を縫っていた。何もしないで座っていることはできない大正の女だった。子供たちの学校へと毎年100枚ずつ、それぞれの学校に持たされた日々から数えると、数十年続けたはずである。
孫たちの学校も複数だったから、年に何百という数を縫い続けていたはずである。
それには一日何枚というノルマがあったようで、何かの都合で日中それが出来ない日はベットに持ち込んで縫っていた。
だから私たちは子供に持たせる雑巾を縫ったことはない。事あるごとに母はそれ用に持たせてくれたから、何十枚も在庫にある。
私は孫のためにも縫う必要はないのである。
たかが雑巾であるが、昔風に縫うには技術がいる。一度母の縫いかけに手を出してみて、その難しさを知った。
ちーちゃんに「そうなの?」と聞いたら、他の児童は買った物らしい。
今の校舎は新しいから、木造の棘のささる床掃除もないから、薄手でもいいのかななんて思ったりしたものである。
母の縫った雑巾はもったいなくて、日常の生活には使いえず、古タオルを使っているのだが・・・・・。
幾年か前、20歳ぐらい年上の方から、親に「布のまま雑巾にしてはいけない」と教えられていたとお聞きしたことがあった。
どんななりでも、縫って使うようにと。便利なタオルなんてない時代の「しつけ」であったろう。
古タオルを雑巾として使う時、しばしばその「しつけ」が心をよぎる。
母が雑巾を縫うの止めると、少し認知っぽくなるのを知った私は、母に母が皆さんにお別れする日に、皆さんに差し上げるように縫うことを勧めたのだった。
それはひとつの励みになったことは確かのようだ。
90歳近くになって、何回も何回も枚数を数えていた姿を思い出す。
2000枚を超える在庫を遺してくれた。孫たちがラッピングして灰寄の席にお座りいただいた皆様に差し上げたのであった。
さすがに最晩年の物は目も粗くなっていたので、それがまた何百枚も残っているはず。
だから次世代も雑巾は縫わなくてもいいはずである。
今日はとっても暖かくなりそう、ひょっとして桜もほころびはじめるかもしれない。
依田 美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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