この頃時間があれば針を持っています。休日ちーちゃんたちがちーちゃんパパの実家にお出かけしたので、朝から夜中まで、せっせこせっせこと縫い続けました。
キッチンでテレビを聴きながら、主夫が何かと家事を手伝ってくれました(笑)
20個ばかりの毬ができあがつたので、衣桁に仮に飾って様子を見ました。それで後幾つ作ればいいのかを見たのでした。
誰が見ても「赤い」方がいいようです。夫の生まれた時に着た晴れ着を思い出として残したいというのが出発なので、緑や青色ははずせなかったのです。
だから4面の内の1面は寒色系で3面は華やかな赤色にするつもりなのです。
でもねえ・・・・私のや、娘の着物の端切れを使っているので、少し地味目もまじるのです。ちーちゃんの赤い3尺帯も使っているので、我が家の思い出シリーズというところです。
何かに再生するということなら、自分の着物をほどけたのです。本当に赤やピンクの派手派手の着物と羽織とコートをほどきました。
ほどきながら、これを元に戻せる能力がないことがよく分かりました。一針一針丁寧に縫われていました。涙なくしてできない作業でした。
それでも、ただ箪笥にいれて置くよりも日の目を見せたいと思ったのでした。
着物を縫えることが、当たり前だった時代はなくなりました。そんな時代に生まれなかったことを幸せと思いました(笑)
同時にこうしてひとつの文化が消えていくのだとも。
夫の晴れ着は、夫の大叔母さんが縫ってくれたものだそうです。ほどきながら何度も手がとまってしまったのです。3枚の内の1枚をほどいたところでストップしています。
真綿に包まれた綿が入っていました。4月生まれですが、その時寒くないようにと配慮されたものなのですね。そのすばらしい手仕事に、これをほどいてしまっていいのかと、何度も自問しました。
もう巡り会えない文化ではないかとか。母校で古い着物を保存しているから、そこで保存してもらったほうがいいのではないかとか。
娘の着物はちーちゃんに是非着てもらいたいのですが、私の着物まではどうなんだろうかとか、思い悩みますが、今ほどいても使い道がないから、おいおい考えていくことにします。
縫い物に熱中していると、日常の家事以外のことに手が回らなくなってきます。これが難なんですよね。
寒い時期だから冬眠だと思ってと言い訳しながら、もうしばらく針を持ち続けるつもりです。
依田 美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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