25日・26日会津若松・いわき湯本に研修旅行に行ってきました。
北は仙台までしかいったことのない私ですが、震災の後どうしても足を運べませんでした。
大勢の皆さんが被災地を訪問されているのですが、私は震災の日テレビの実況中継された津波の恐ろしさを、思い出すたびに苦しくなってしまったのでした。
まるで怖い映画そのもののようで、家や車が飲み込まれていくのを見ました。その中に人がいたのですから・・・・。
4年7ケ月が経ちました。お誘いを断る理由がありません、出発しました。
できることはお買物でしょうか。
会津若松の鶴ヶ城の見学です。「八重の桜」も見ていません。
城内に展示されているパネルを読んで頭の中を整理します。ボランティアガイドの鈴木さんが、丁寧にユーモアを交えて案内してくださいます。
じっくり読んでいると、ガイドさんについていけません。「・・・・は勝った側から書かれた物」の言葉が聞こえました。そうなのですね、歴史は勝った側から書かれた物が残されているのですね。
幕末から明治になったばかりの頃のこと、今までなにやかんやの本読んでいましたが、そういう視点で読んだことなかったわと思いました。
鶴ケ城の屋根瓦が赤いのが印象的でした。会津は教育に熱心な地であったこともよく分かりました。
入口のお店で「揚げまんじゅう」とありました。これって長野だけかと思っていたので、ちょっとした発見でした。時間が許すなら食べてみたいと思ったのでした。
ゆっくりお城見学をしていたら時間が押してしまい、飯盛山はパスしてさざえ堂の見学です。この日午後から北日本は寒気が通過するとの予報でしたが、冷たい風が強く吹く日になりました。
さざえ堂とはさざえのようになっているのです。堂内はまさしく通路だけでできています。らせん階段で上に上りらせん階段でおりてきますが、のぼりと下りが一方通行なのです。1976年に郁堂和尚の考案建立だそうです。
見学の後一路宿泊地のホテル ハワイアンズへ。私50年前に行ったことがありました。あの頃は嫌になるほどバスに乗ったとおもいましたが、いまは近くなりました。
その時はみんなムームーを買って着替えたのでしたが、今は浴衣替わりに用意されていました。しかしムームーだけで要られる季節でもないのですが、その上に着用する上着ときたら、まあーみんなで着れば怖くないとえばそうでしょうが、まず着たくありません。
たぶん今より20歳は年上になれる代物です(笑)
2000人も収納できるホテルで、宴会場にもお風呂にも行くのが大変です。
宴会場は我慢しましたが、フラダンスショーの会場で1時間も震えているわけにはいかないと、私服に着替えて会場に入ったら「28度の温度設定にしてあります」と立看でした。ねえーこの情報先に流してくれないかしら。
フラダンスはもう素晴らしくて夢の世界にいるようです。ファイャーショーも迫力満点で1時間はアッと言う間でした。
映画になって人気がでたようですし、震災の後は大勢の人が訪れている様子でした。
このショーにお金がかかるせいなのか、料理は「痩せていました」。ショーの終わった後ラーメンを食べましたよ(笑)
続きはまた。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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