友人たちに話したら「ウール」なんて今は国内では生産していないから、貴重品だと言われた。絹製品だって、国内で養蚕もない時代、だから昔の物の方がずっと質がいいのだとか。
タンス1竿分、買い取りも聞いてみたが、絹物でなければと言う。
人に振って自分だけすっきりするというのも罪かもしれないと、捨てる痛みを選んだ。
資源袋に4つ、しかし衣装缶1つは使い道があるはずと残しておいた。
友人たちが、生地を欲しい人はいっぱいいると情報もくれた。
まずは、つるし雛の教室の友人に聞いてみようかと、心は揺れ動いていた。
兄の49忌日で帰省した姪は、この春の会社のお客様感謝祭のイベントの「巾着作り」にハマり、今や人様の物を作成したり、お教室まで
持ちたいというレベルらしい。
どこにそんな才能があったの?と思うところだが、彼女はここ何年か和服から小物へのリメークを続けてきていたから、その延長なんだろう。
ウールを捨てるなんてもったいないと言う。それならお好きにどうぞと、丸投げすることにした。
これは修学旅行先の京都で買ったものとか、母と選んだものとか・・・・ほとんど母が縫ってくれたものである。
昭和の40年代はまだ着物が生活の中に密着していたから、普段着は木綿やウールそして化繊の着物地もチラホラだった。
嫁入ダンスに普段着がいっぱいなんていう最後の年代かもしれない。
どうもったいないと言ったって着るという場面はあるまい。ただ取っておくことは先延ばしにするだけ。
自分でリメイクする体力気力はなおないだろう。思い出として心の中に残そう。
資源ごみとして出さなくて、ホッとしたのも事実である。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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