「 柿すだれ」という言葉はまだ辞書にないのだとか、朝のラジオでリスナーの話。アナウンサーが歳時記には出てましたと。
私は「柿暖簾」って思っていたけれど、「柿すだれ」のほうが正解かも。
その「柿すだれ」今年はとんと見かけない。佐久は花の時期の霜で不作なのである。
カレンダーをお届けに上がるこの季節は、よそのお宅の柿すだれを見るのが楽しみだった。
それぞれつるし方も個性があり、ずいぶん参考にさせてもいただいていたのである。
お客様の家に向かって角を曲がりこんだ目の前に、すずなりの柿の木が見えた。やっぱり霜の道ってあるんだわと納得したのである。
こんなに不作の年でも、収穫されることもない柿を不憫に思えたけれど、干し柿にするには、もう熟し過ぎだろうし・・・・。
それでも時たまの柿すだれを見ることができた。
毎日、物を処分している。
書棚の40年以上前の教科書、10年に1度程度見た程度。内容も古いだろうし、ただ思い出だけの物かもしれない。
それでも思いついたら吉日では申し訳ないから、その隣にある画集に手を伸ばした。これも学生時代の美術展めぐりの産物。見返すこともなかったわけではないが、これから先そうそう見ることもあるまい。
もう過去など振り返っている時間はなさそう、前進あるのみかな。
そして一番気になっている百科事典・・・・夫の物だからね。
これこそ40年来はオーバーだけど、1度調べものをしただけの私。今更あの細かい字を読む気力もない。
「ねえー、処分しない?」と長いこと言えなかったセリフを口に出した。
「空いたスペースに独楽のコレクション並べたらどうかしら」と提案。
最近はどこへ行っても同じような独楽か、創作独楽が目につくばかり、二人で収集した頃は各地で個性ある独楽にまだ出会えた。
それを押入れの中にしまったままでは、これも日の目を見ないではないか。
1度にはできないけれど、一つひとつ片づけは進んでいく。
使える物は使い切ろう。
物が少なくなれば、物の把握ができるから、シンプルな生活ができるだろう。
命が無限にあると思える若い時ならともかく、持ち時間の予測がつくような年齢になれば、自己責任でやらねばならないと思う。
それにしてもこれだけの物をよく買ったものだと思う・・・・・すごい反省の弁(笑)
物欲はまさに若さである。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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