昨夜のクローズアップ現代を見ながら、「遅かった」と思わずにはいられなかった。
大型の木造住宅を建てることができるようになったという話である。
40年以上も木の業界にいる私は、いつも歯がゆい思いでこの国の木に関する政策をみてきた。
戦後荒廃した山から、日本の復興を賄う木がなかったのも事実である。国土再生のために山の天辺近くまで植林を続けたのは、失業対策でもあったときいた。
日本は木の文化の国・・・・それを外材で賄ってきたのである。
高度成長時代から我が国は木を湯水のごとくに使った。世界の隅々から立派な木が入ってきたもの。
節がないものや、筋が通って目が詰んだものを役物とか色物と言って好んだものである。
国内の木では絶対賄えないボリュウムでもあった。
アフリカの奥地の木です、と聞いた時はさすがに私も絶句した。
時代は大きく変った。核家族が増え、住宅の中から和室が消えるようになって、色物の世界は急速に小さくなった。
木材を干して乾燥させておくなんていう悠長な大工さんもいなくなった。
20年前位からようやくに木材の乾燥技術も発達して、さらに木材の工業製品化が進んだ。
そして国内の木も、どうにかしなければならないところまで成長してきた。
そこに二酸化炭素削減の京都議定書がからみ、日本の山は日の目をみるような方向にすすんできた。
あのロシアでさえ、国力とともに木材の輸出を制限するようになった。日本の中で何が一番木を使っているかと言えば、合板である。
合板の木材は圧倒的にロシア材が多かったはず、それが関税をど~んとかけられる話になって、急遽国内で調達となった。
二酸化炭素がらみの政策とこの合板工場の木材の集荷が、日本の木材の流通を変えた。一般製材業者に木材が流れにくくなったのである。
30年前この地の木材組合会員は70社近く、今は20社あまり。それでも山の木を切り出す業者が増えての結果である。
もはや、国の政策としては小規模の製材業者は必要なしとみているのだろう。
5年ほど前、「それでは地元の製材業者は生き残れません」と言った私に、国は地元などとは考えていないと言い切ったお役人さん。それならばこれは誰に申し上げればいいのですか、と詰め寄った私に「大臣にでも」と言われた。
大臣ねえ・・・・ひっきりなしに変る大臣に力があると思えないけれどねえ。
私かなり憤慨しましたよ。
どちらにしても今や木は家の材料や土木材料として使うよりも、バイオマスとして注目を浴びているのである。
大分前から協業化がすすめられ、大型工場が補助金で作られてきているし、今後もその路線は変るまい。
補助金のないものと、あるものとが同じ土俵で競争するのは大変なことである。
まあそれが市場の競争原理ということなのだろう。
伐期を向かえた山をなんとかしようと振り返ったら、誰もいなかったということが無ければいいがと思う。
かって失業対策で山に木を植えた、今失業対策で木を伐る時なのかもしれない。ミスマッチとよく聞くが、山は人を求めている。
ようやく木を使えるような規制緩和されたと聞きながら、やっぱり遅すぎたと思う。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家