穏やかな春の1日を「19夜様講」のお当番していました。30年前始めてお当番した日、家並から数えても次回は30年後と思ったのでした。
それが30年間にもう4回目です。
1回のお当番を8人~10人で受け、さらにその中で3人が本当番で3年やったら、次の組に廻すのですが・・・・。
老齢化・男子のみの家庭などで絶対数が減って、さらに「お休み」と称する実質退会者もいて、その廻り方は年々加速しています。
3年のつもりが2年で廻しますが・・・と恐る恐る次の組に申し上げたのですが、ハイ次の組も2年で廻しますからと寛大なご返事が返ってきました。
えっー、それだと後7年だと思っていたけれど、たちまち回ってきそうですね。
かってはそれぞれの家を持ち廻りでやっていたのだそうです。
変らないようでいて、集う人たちは確実に変っていっています。私だって若手から卒業して中堅ですもの。
19夜様はお産の神様です。
安産の神、如意輪観音を主尊として、旧暦の19日の夜、女性だけが集り如意輪観音によって血の池地獄からの救済を謳う「19夜念仏和讃」を唱え安産を祈るのです。
最近は3月のお彼岸の前の日曜日に行うことが多いです。
かってはどこへも出かけることの無かった嫁たちの楽しみや息抜きの場であったのでしょうが、時代が変り、さらに働き方まで変った女性たちにとっては、これが負担になりつつあるのです。
お産が病院になったのもきいているでしょうね。
お話を聞いていて思ったのですが、個人の家でやら無くなったのは、公民館ができた頃と一致するような気がします。
それまでの横並びの農村の生活から、現金収入が得られる時代の到来とも一致するのかもしれません。新たな小さな格差がうまれ始めたのもこの頃かもしれません。
公民館はそういう意味でも大いに意味があったのでしょう。
参加者も当番も嫁というより姑世代になり、さすがに昔風では大変と簡略化してきました・・・・・踊りや寸劇がなくなって・・・私はうれしかったわ。
500円会費で、お団子に菓子と果物と漬物(市販品に限る・・・・この枠を徹底しないと際限なく元に戻ってしまうから)程度で。
私はケーキとお茶でと、前回廻したつもりが一回りするとこうなっているのよね。
お産のある家からはお祝い金が届けられますので、そのお家には「オオダマ」と言われるソフトボール位の大きさのお団子が配られます。
食べる物が無かった時代には嫁さんに喜ばれたことでしょうが、私は3回に分けて食べました・・・実に恐ろしい大きさです。
お茶会の前にこの19夜様講のメインである、お念仏を唱えます。
最近唱えられる人が少なくなって、テープに残してもらってあるのですが、そのテープにはお念仏と共に鉦の音が入っているので、テープの鉦と聞いて叩く鉦の音ばかりが耳にに届きます。
今の人たちの方がテンポが速いようで、今どこやっているの~、となってしまいます。
さっそくに鉦のないお念仏を吹き込んでもらうようにお願いをしました。
このお念仏全部行うと1時間半かかりますが、いつの時代に簡略したのか分かりませんが約3分の1で25分かかります。
始まる前に時分使いで、地域を鉦を叩いて廻ります。この役と19夜様塔・・如意輪観音塔のことですが、お線香を上げに行くのは、「若い人」の仕事です。
今年は「いつ頃建立されたのか見てきて」となり、弘化4年(1847年)の文字を見つけてきてくれました。
少なくともその時代から続いているのですから、私たちの時代でやめることはできません。
ケーキとコーヒーでも、饅頭とお茶でもいいから、このお念仏を唱え続けなければ(テープを廻してでも)なりません。
引継ぎの箱の中から、明治39年の和紙綴の人名簿が出てきました。
会費というのでしょうか、それを納めた人の名が全部戸主でした。そして大正11年のを見ると、女性の名が多くなってきています。戦前の女性の地位がよくわかります。
達筆すぎて夫の祖父の祖父の名前が分かるだけで、後は知らない方ばかりです。
でも記録ってすごいですね。最近では平成16年の方が残していました。これってみんな見ていないからほとんどの人は知らないのね。
私もささやかに残こして廻すことにしました。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家