息子が小学生の頃「化石」を採りに行った話を孫にしたらしい。ここ1ケ月程「僕も行きたい」と6歳はせがむ。
何と言っても、あれは25年近く前のこと、現状がどうなっているかも定かではない。
確か高速道路が通るようになり、あちこちの道路が改修されていたからと記憶を頼ってみても、かってのむき出しの地層がそのままとは思えない。
日曜日の2時過ぎのこと、行こうよと誘われる。このお天気なら大丈夫ねと車1台分の人数を連れて、思い出の場所を目指します。
そこは私の生まれたところ。
例年なら紅葉は11月10日頃、裏山が色とりどりとなるが、まだあいまいな色でしかないのが残念。
ここでホタルをとったのよ。上ばかり見ていて2mもある土手から、下の田んぼへダイビングしたのよ、と説明しても、その田んぼは今は荒地になっているのでした。
野おだまきの黄色い花をいつも楽しみにしていた土手もコンクリートに変わりました。そして山道も舗装され、山裾にはコンクリート製の土留めが打たれています。
何よりも変わったのは、農地が荒地になっている姿でした。
川岸の向こうにコンバインが入ったらしい1枚の田んぼの藁玉を見た時だけ、ホッとした気持ちになったのでした。
記憶をたよりに「ここ」と行った場所。山を削って道路を拡張したむき出しの部分は、月日の経過と共に、草木に覆われていたのでした。
むき出しの白くて柔らかい地層から、葉っぱと貝(?)の化石・・・・いえ完全なる化石になるには、さらに時間が必要な・・・・が簡単に見つけられたものでした。
昔この地は海の底だったとか・・・中学校の校章は貝をデザインしたもの。
子供たちはその化石を小学校にもって行ったけど、その後改築になったから処分されてしまったかもしれません。
息子が「あの地層がない」と言います。そうでしょうあの地層は崩れやすかったから・・・、とかってはなかった土留めのコンクリートブロックを見ながら思ったのでした。それでも崩れ落ちていた柔らかい石がその地層の名残のようでもあり、割ってみたのですが、孫たちの期待には添えられませんでした。
木々の葉が積もった林の中を歩きます。小さな孫がしっかり私の手を握ります。
西日が差さない林の中は薄暗く、黄色に色付いた潅木だけが華やかです。
その潅木を揺すって葉を落したり、セミの抜け殻を見つけたりと、小さな子供たちにには、少し恐ろしくもあり楽しい場所でもあったようです。
今度はゆっくりと来ようね、と諦めきれない幼子をなだめつつ、生まれてからこのかたまでの長い年月を、思い出していたのでした。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家