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日光に行ってきました

土日で、日光の湯本へ行ってきました。
仲間と自転車で行く予定でしたが、仕事の都合で出発が遅れ、自動車で宴会に出るだけの旅になりました。
 
東京近辺なら、日光へ自転車で自走で行くコースは、渡良瀬渓谷を進み、日光から中禅寺湖へ行く道の途中へ出ます。
左に曲がり、いろは坂を登ると、華厳滝が見える明智平を経て、中禅寺湖に至ります。
湖畔を走り、戦場ヶ原を過ぎると目的地の湯本です。
 
ここへ来ると、いつも思い出すことがあります。
 
途中の渡良瀬は、明治年間に日本国中を大騒ぎにした、足尾鉱毒事件の発生地です。
足尾鉱毒事件は、足尾銅山の採掘で汚染された下流地域で、鉱毒に苦しんだ地元民が蜂起した事件です。
事件を訴求した田中正造は,第一回帝国議員ですが、事件を糾弾する立場として国に被害回復を訴えました。
明治天皇に直訴して、鉱毒事件を世間に訴えたのは、有名な話です。
その足尾鉱毒事件の蜂起に参加した人に、京北中学へ通う黒澤酉蔵が居ました。
遠い昔、明治時代の話です。
 
日光と言えば、東照宮に次ぐ観光の目玉は華厳滝です。
華厳滝は、自殺の名所として有名ですが、この滝を自殺の名所として有名にしたのは、明治年間に、ここで自殺した藤村操の影響です。
藤村氏は、『万有の真相はただ一言にて尽くす、曰く不可解』と立木に書いた遺言で有名になりました。
藤村氏は一高生です。 一高生は、帝大生となり、いずれ日本国を背負う立場です。
今より遙かに期待された学生が、自から命を絶った衝撃は、いかばかりだったのでしょうか。
 
藤村操は、一高に入る前は、京北中学の学生でした。
そして藤村操と、黒澤酉蔵は、同じ京北中学の同級生でした。
 
京北は、私が通った高校の前身でした。
 
黒澤酉蔵は、足尾鉱毒事件の蜂起に参加したことを咎められましたが、無事卒業したそうです。
放校処分となった、と本人から直接聞いた気がするのですが、私の記憶違いだったようです。
その後、北海道へ渡り牧夫となり、苦労の末に立身を遂げ、雪印乳業の創業者の一人となりました。
「日本酪農の父」と言われ、国会議員にもなっています。
最晩年には、民間人に叙勲される最高位の、勲一等瑞宝章を授与されました。
私の憶測ですが、放校処分が卒業扱いになったのは、立身を遂げた黒澤氏が放校処分のままでは具合が悪いという学校の判断だったのかも知れません。
 
私は、黒澤酉蔵氏にお目にかかった事があります。
私が高校生だった、昭和54年頃に学校に来られました。
既に齢94歳になっており、話も整然とはしていなかった記憶があります。
それでも迫力はさすがで、歴史上の人物を見るように感じました。
この時に、藤村操の自殺の原因についての質問も出たと思います。
 
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