こんにちは
古民家鑑定士 阿部です。
明治150年の今年
「西郷(せご)どん」はもうすぐ「桜田門外の変」(1860年)
時代が大きく動き始めます。
1872年(ここから人口統計がはじまっています)
に人口が一番多かったのは広島県・2位は山口県。
今の鳥取県を含めた島根県が東京府より人口は多かった時代が
つい150年前にはありました。
日本の人口は1億2670万
現在の人口1位はもちろん東京都1372.4万人。
最下位となる47位は鳥取県56.5万人。
その差は約24倍です。その原因は何なのか?
元来日本は東京一極集中ではなく
その地方に応じた産業が活発で、今より地方が元気な時代がありました。
広島県は1位だったのは
瀬戸内海航路沿いの拠点として
近畿地方で消費される綿や日用品、食品などの一大生産基地となり栄えていたからです。
その後新潟県が1位に躍り出ます。
理由は、稲作に適した気候と「北前船」の拠点だったこと
この頃から「北海道」が開発されています。
(2位はいまは無き「名東県」徳島県+淡路島でした)
「日本海側」は太平洋側より人口は多く
経済の中心は第一次産業であったため
作物の王様である「米」を育てるのに適した環境であった日本海側が反映したのです。
その後太平洋ベルト地帯の工業化が進み
日本海側は、太平洋側に比べて後れを取ってしまいます。
近代化の進んだ太平洋側に「出稼ぎ」でどんどん人口を取られていきました。
農家の次三男らが東京・大阪などの大都市へ流出し、
工場労働者のほか、都市化にともなって増える小商人・職人・店員らになったのです。
彼らは、持ち前の粘り強さで泥臭く働く業種を得意としていて
東京・大阪の銭湯の初代経営者は
石川・富山・新潟の3県の出身者が約8割を占めています。
日本海側は、人もいなくなり、産業も伸びず、長い低迷期に突入していきます。
1925年の国勢調査では
大阪市(211.5万人)が東京市(199.6万人)を超えていました。
「商人の街大阪」は日本一の賑わいでした
対して人口の最下位は長らく北海道でした。
しかし北海道は多くの移民が入り込むことによって人口が激増します。
そしてなんと1945年1位に北海道がなりました。
これは戦争の終盤北海道が疎開先に選ばれ人が集まりました。
しかし以降現在まで東京都は1位を明け渡したことはありません。
そして最下位は島根県へ・・・
併合などで少し誤差はありますが・・・日本の人口はこんな流れです。
東京一極集中は
人やモノの移動・輸送効率を高め、生産性向上につながります。
しかし、子育ての難しい東京に集まることにより
出生率のさらなる低下が危惧され暮らしにくい世の中になっています。
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