こんにちは
古民家鑑定士 阿部です。
越中富山の薬売り
お客さんに薬箱を預ける「置き薬(配置販売)」という商法です。
加賀前田家から分家して寛永16(1639)年に成立した富山藩は
富山市がある越中の中央部分を治めました。
富山藩は石高10万石ながら多くの家臣を抱えていた上
たびたび発生する水害や冷害などで財政難に悩まされていました。
この危機感のバネに、しっかりした経済基盤をつくろうスタートしたのが薬でした。
独自の調合を行って、藩内で製造・販売するようになりました。
江戸で薬を服用するとたちまち腹痛が消え回復。
その評判が広まって全国の大名が富山の薬売りの行商を求めるようになったといいます。
藩内の薬売りに全国で自由に商売できる許可証「他領商売勝手」を発布。
領内で生産した薬を藩外へどんどん輸出して外貨を稼ぐことを奨励しました。
官民一体となった積極的な経済政策は成功したのです。
現在も受け継がれている越中富山の薬売りの基本理念は【先用後利】
「用を先にし利を後にし、医療の仁恵に浴びせざる寒村僻地にまで広く救療の志を貫通せよ」
訓示から引用されました。これを実践したのが「置き薬商法」です。
医学が未発達だった江戸時代は
効能がはっきりしない薬を法外な価格で売りつける商人も少なくありませんでした。
そんな中、越中富山の薬売りたちは孫の代まで商売が続くようにと真心を込めて行商を目指し
「置き薬商法」を始めました。
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