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大人の作法とは... ~・会長ブログ・~

こんにちは! 本多建設の本多和彦です。

 

「浅草に遊びに行ったら小学生のぼくに、

ー大人になったら祝儀袋を持ちなさいーと周りの大人が教えてくれた。」

今年一月に発売された池波正太郎の

「人生の滋味・池波正太郎かく語りき」のなかの一節です。

 

 池波正太郎、大正12年1月生まれですから、

彼が小学生の時代は昭和の初期とういことになります。

家が貧しくて、小学校を出た13の年(昭和10年)から

茅場町の証券会社に入ったというより、本人は奉公に出たといっています。

ここで7年間勤めた後、兵隊に行き、

戦争から帰ってきたら証券取引所が閉鎖されてしまったため、

終戦直後の21年から30年まで都庁で10年間勤めます。

その間、新国劇の戯曲を書きながら勤めを続け、

その後都庁を辞め、小説家となり、

昭和32年「錯乱」で直木賞を受賞し、

「真田太平記」「鬼平犯科帳」「仕掛人藤枝梅安」「剣客商売」など、

国民を代表する小説家です。

 

 その彼が小学校を卒業と同時に、社会人となり、

若くして大人の世界に入り込んだ経歴が、

その後の彼の小説に大きな影響を与えたことは、

本人の数多い随筆のなかで語っています。

 

 池波正太郎がその時代の特別な体験をしたのではなく、

その時代の誰もが、小中学校卒業とともに、

社会に出てきた人数が高校、大学へ進学する人よりも

圧倒的に多かったために、大人になる覚悟というか、自立性が強かったようです。

 

 その頃の大人像とは一体どんなことだったんでしょうね。

それは、冒頭の一文に要約されているような気がします。

金持ちも、貧乏人も関係なく、大人として稼いだ金のいくばくかは、

何かをしてもらったら、自分の気持ちとしてのお礼に

「ご祝儀」というものであらわすくらい、余裕をもって生活しろ、

という意味ではないでしょうか。

それこそが、江戸っ子の粋に通じるのかもしれません。

 

 私が大学を卒業した年、昭和45・46年頃でさえ、

まだそんな気風が東京では残っていたように思います。

当時、私は東京で小さな会社に勤めていました。

搬送機という種類の機械販売の営業でした。

機械メーカーの取引会社の専務とは、仕事が終わっては

よく飲みに連れてってもらいました。

彼は40になったばかりだったと思います。

日大応援団出身ということで、最初はこわごわとお付き合いしてましたが、

物腰が柔らかく、またいろんな分野にも博識な人でした。

二人でお酒を飲んでると、社会に出たばかりで右も左もわからない私に、

かみ砕いてゆっくりと大人の作法のようなものを身をもって教えてくれました。

 

 とくに飲み屋での飲み方のマナーにはことにうるさくいわれました。

「いいか、本多、お金を払ったからと言って、

横柄な態度や言葉遣いをしていいと思ってるやつは、

所詮、成金か田舎もんのやることだ。

みっともない。いつでも紳士でいろよ。

ハメをはずすときにははずす場所があるんだよ。

遊びは粋に遊ぶことを勉強しろ。」

 

 あの当時は私より年配の人は、

大人の作法というものを教えてくれる人たちがまだいたんですね。

たまたまそういう人に出会って、大人の遊びの一端を教えてもらった私は、

以後の人生のなかで随分助けられたような気がします。

 

 だからといって、その専務のような粋な飲み方など、

すぐにはできるはずもなく、何年もたって、何度も失敗しながら、

いつも頭の中にその言葉が残っていました。

 

 この歳になってそれがようやく身に染みてわかるようになってきました。

年寄りの繰り言ですが、昔に比べ今の若い人たちに

大人の作法を教えてくれるような人が果たしているんでしょうかね・・・・・

 

 

2023.06.08

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