こんにちは! 本多建設の本多和彦です。
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今年の春は早いですね。
例年より思いっきり雪が少なかったから、
助かった人は大勢いたでしょうね。
やはり春はいいですね。
高校生までは、私はほとんど米沢を出たことはありませんでした。
記憶に残っているのは、小学校の修学旅行で松島、塩釜に一泊か二泊、
中学校の修学旅行の時、初めて東京へ行ったのです。
あれは東京と鎌倉、江ノ島に二泊か三泊だったと思います。
昭和37年頃の乗り物は蒸気機関車だったはずです。
昭和40年代あたりから電車になり、
米沢ー東京間4時間とちょっとだと記憶しています。
私の旅の始まりは大学受験で、好きな大学を選ぶより、
米沢からなるべく遠いところを意識して選んだような気がします。
私は1年浪人して大学へ行きました。
現役のときは、青森と金沢の大学を受験しました。
その時青森はあまり印象になく、
つまりそんなに希望している大学ではなかったので、なんとなく気が向かず、
その時点で浪人をしようと思っていたようです。
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金沢のほうが早い受験でしたが、試験が終わる前に、
こりゃだめだと思っていました。
もちろん結果電報は「ハナ チル」。
金沢の印象は、どんよりと曇った日が続き、犀川と古い町並みが3月の
肌寒い季節と溶け合っていて、なんとなく好きになれそうな町だなあと感じました。
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翌年、初めて親元を離れ、仙台に下宿し、そこから予備校に通いました。
何枚も重ねた重たい布団を取り払ったように、
身軽になった爽快さをその時初めて味わいました。
もしかしたら、放浪したいという欲望が出始めた最初なのかもしれません。
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二度目の受験も、遠いところを狙い、大阪の大学を受験。
倍率多分当時、20倍くらいだったと思いますが、合格は考えず、
大阪に行きたい、帰りは京都に回りたいとの思いで、受験しに行きました。
もちろん「ハナ チル」電報。
何とか東京の大学に引っかかって、卒業はできました。
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大阪の大学を受験した際は、大阪で2泊しました。
受験生用宿を紹介され、4人一部屋の相部屋。
先方は3人組、私は一人、3人組は同級生で関西出身、私は東北、
当時東北の人間はかなり珍しいようで、お互い若いから、
すぐ話が弾み、こちらも生まれて初めて聞く、生の関西弁にとまどい、
面白くもあり、明日の受験の予習などするよりも、
互いのお国自慢に花が咲き、夜中の2時ころまでヘラヘラおしゃべりをしていました。
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3日目の試験は終わり、3人組から聞き出した、
京都の見どころをもとめて京都に行き、さてその晩、どこへ泊ったのか、
いくら考えても思い出せず、でも翌日、苔寺の西芳寺を訪ねたことだけは覚えているんです。
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受験を通して、2年に渡り、一人旅をしてきたことが、
その後の私の人生に強烈な影響を受けたことは間違いありません。
毎年、暗い冬が過ぎて、ようやく明るい春が来ると、
どこかへ出かけたくなる習性は、この時に作られたんですね。
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今月18日から1週間、また旅に出かけます。
場所はニューカレドニア。来月報告します。
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