こんにちは! 本多建設の本多和彦です。
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2018年9月に初版発行された、
沢木耕太郎著の「銀河を渡る」という過去に発表された
旅にまつわるエッセイ集の本を買って暇なときに読んでいます。
単行本でちょっと厚いので、持ち運びが不便ですが、
ちょっとした長旅のときなんか、乗り物の中や、
ホテルのティールームなどでじっくり読んでみたくなるような本です。
彼が26,27歳のころ、単身でユーラシア大陸を
バスを乗り継ぎながら、ロンドンまで貧乏旅行した、
「深夜特急」の裏話なども書いてあり、
沢木フアンにはたまらなくおいしい本でもあります。
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その中に「少年ジョー、青年ジョー」というタイトルの
エッセイがあります。彼は漫画「あしたのジョー」を読んで、
ボクシングの見方や、スポーツの見方というものを
教えられたといってます。
ジョーの面差しが「少年」から「青年」変わっていくことが
気になって、何度も読み直していくと、
「あしたのジョー」を覆っている濃密なヒロイズムに隠されているような
気がする、そのヒロイズムとは大きく二つによってなりたっている、と
書いてあります。
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そこまで読んで、ふーん、単なる漫画をこんなふうに分析しながら
読む人もいるんだなあと、おのれの至らなさに恥じる思いでした。
沢木耕太郎と私は同じ歳でもあるからです。
もっとも、彼と自分を比較することが最初からおかしいのですけどね。
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さてそのヒロイズムとは
「ひとつは戦いの場にこそ生命の燃焼の瞬間があるという
ヒロイズム。もうひとつは、ライバルを真に理解しうるのは
そのライバルだというヒロイズム。「あしたのジョー」を支えるのが
この二つのヒロイズムだったということは・・・・・・」と続きます。
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当時私は大学生、昭和40年代の初期から中期だったと思います。
夢中で読みました。力石徹との死闘と友情、最後の対戦相手
ホセ・メンド―サとの試合が終わりコーナーに戻って
すでに息絶え、燃え尽きたジョーの姿の神々しさは
漫画を超えた感動をもらいました。
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沢木耕太郎はこう結んでいます。
最後のリングにあがったジョーは
「この時、ジョーは少年からの移行を終え、完璧な青年として
存在することになる。それまで少年のジョーとも青年への移行期
のジョーとも違う、生と死の境界に立って、向こう側を見てしまった
澄んだ顔つきの青年として描かれていくことになる。」
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思えばこの時代、高度経済成長期の真っただ中、
サラリーマン必読の本だったのかもしれません。
その時代の日本はまさに
燃え尽きるまでなにかに向かって走りたかったんでしょうね。
時代を比較するつもりは毛頭ありません。
私は今でもあの時代が、一番懐かしいのです。
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2019.02.08
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