前回のブログで、学生時代、部活の仲間と一緒に歌った歌を書きました。
鳥取の温泉で酔って歌でもでるのかなと思っていたら、
宴会が終わり部屋に引き上げて、
そこでまた飲みだしたものの、
それぞれが話始め、誰も聞いていないから話がかみ合わず、
それも長続きせず、一時間ほどでお開きとなり、雑魚寝のまま寝込みました。
やはり70歳、気力、体力、酒量、間違いなく昨年より衰えていました。
/
帰りの電車の中で、彼らとの歌も私の学生時代の貴重な思い出でしたが、
私には2年間東京興譲館寮にいましたので、その時の飲み会で各自が歌わされる歌も、
また楽しい思い出でもあり、鳥取から京都への在来線の特急に乗っている間、
半分眠りながら、50年前の寮時代にタイムスリップしていました。
/
昭和40年代の初めころはカラオケなどありません。
宴会で歌えといわれれば自分の知っている歌の歌詞を覚えていなければなりません。
2番3番までの歌詞は覚えられませんが、
せめて1番くらいは自分の持ち歌として暗記していたもんです。
/
当時寮の飲み会が食堂で始まると、
最初はビール、ビールは高いので乾杯くらいだったかもしれません。
焼酎は当時は今ほど種類が少なく、
匂いも強かったので多くの学生はあまり飲みたがらず、
主に日本酒でした。あとはサントリーのレッドが出始めていたので、
トリスウイスキーよりは人気がありました。
宴もたけなわになれば、必ず歌をうたうことになります。
それはいつも1年生から先輩に指名されます。
歌わなければなりません。
私は大学の部活ワンゲルで歌わされていましたので、
ワンゲルの先輩から教えられた、旧制高校時代、
弊衣破帽のばんから学生の歌った哀しくて切ない青春の歌を、
私なりにアレンジして最後には爆笑に変えた歌を作り上げました。
たぶん、今でも寮の昔から伝わってる歌として受け継がれてきているかもしれません。
ご披露しましょう。
/
富貴名門の子女に恋するを純情の恋と誰が言う!
路頭にさまよう女性に恋するを不純の恋と誰が言う!
雨降らば雨降るよし風ふかば風ふくよし泣いて笑って
月下の酒場に媚びを売る女性の中にも睡蓮の花のごとき純情あり
酔うて枕す胡蝶の美人
明けて覚むれば昨夜の未練さらさらになし
われは浮き草根無し草
明日の命をだれが知る
今宵この夜いざ高らかに歌わんかなー
/
と、以上を演説調に抑揚をつけ、
声高に叫び次にエロ歌を歌いだせば、
聞いている人たちは格調高い演説から
品のない猥歌に移った落差に驚いて爆笑となるんです。
人を笑わせることは昔から好きだったのかもしれませんな。
一覧へ戻る