こんにちは! 本多建設の本多和彦です。
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毎月私がブログを更新する日は、8日か9日と決まっています。
11月は8日~10日と鳥取市に行き、
帰りは京都に一泊して帰ってくる予定です。
なのでこのブログは11月初旬に書いています。
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鳥取行きは、大学時代の部活の仲間の集まりが、
昔は5年に一度でしたが、それが3年に一度となり、
2年前から毎年会うことになり、今年が山陰の鳥取市となったからです。
2年前は京都でした。
昨年はこの米沢で、私がホストとなり、
小野川温泉で一泊、翌日は上杉伯爵邸で昼食をして、
解散となりました。
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部活は今は死語に近くなってしまった、ワンダーフォーゲル部でした。
有名な高い山をアタックして征服するのが山岳部なら、
名も知られていないような山々を渡り歩くのがワンゲル部(ドイツ語で渡り鳥)
といわれています。
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昭和42年から1年間だけしか在籍していませんが、
その時の1年生の仲間との付き合いが50年近く続いていることに、
自分でもびっくりしています。
昭和43年からは学生運動がさかんとなり、学校封鎖が毎年半年以上も続き、
私たちはほとんど授業に出られず、部活もバラバラとなってしまい、
それが団塊の世代の学生時代でもあったのです。
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1年生の時は、すべての合宿に参加していました。
5月の新人錬成合宿では、南アルプスの鳳凰三山を縦走、
初めての40㌔近い重いザックを担ぎ、バテれば先輩からの
ビンタが飛んできたもんです。夏は20日間ほどの合宿で、
5パーテイに分かれて、1パーテイ6~7名、
日本縦断の北は能登半島から、南は紀州和歌山の本州最南端の田辺までをつなぎ、
最終日には大台ケ原に全パーテイ終結し、感激したもんです。
私はその南紀のパーテイに配属となり、20日間生まれて初めて、
山の中でのテント生活を体験しました。
精神的にも肉体的にも、この時の体験がそれからの自分の人生に
自信のようなものが付いたいたことは間違いありません。
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秋は1週間ほど秩父の山を渡り歩き、そういえば11月頃かな、
戸板女子短大のワンゲル部との合同ワンデリングというのを
伊豆大島でありました。同世代の女子大生との合宿は本当に
楽しいものでした。
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翌年3月初旬九州合宿があり、私のパーテイは
鹿児島の指宿を出発点として、開聞岳を見ながら、アスファルトを歩き続け
人吉の五木村まで行った記憶があります。
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年5回の合宿は、当時の1年生たちの絆が合宿の度に
深まっていったのかもしれません。
毎年となった我々の集まりは、あの1年間の密度の濃い合宿での苦労と思い出を
何度繰り返し語り合っても飽きないものなんです。
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合宿の度にテントの中で歌った山男の歌は、
社会に出てからは、なんとなく気恥ずかしくて歌わなくなりました。
今思えばその歌は、もしかすると、日本の高度経済成長に対する
アンチテーゼだったのかもしれず、または、
世の中の速い流れについてゆけない不器用な男たちの
やっかみと自己弁護の自己陶酔だったのかもしれません。
そんな歌が我々は大好きでした。
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今回もまたこの歌を全員で歌って、同じ話をく繰り返すんで
しょうなあー。
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タイトル(思い出せない)
街をはなれて野に山に 行くて定めぬ俺たちは
夕べの星見てしみじみしのぶ 遠い昔の物語
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あの娘は良家の御嬢さん 俺はしがない山男
山を歩いてなぐさめる 笑ってくれるなお月さま お月さま
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はかない恋に泣いたとて 山鳥飛び立つ朝がくりゃ
俺達の心は喜びにあふれ 群れたつ鳥は夢を呼ぶ 夢を呼ぶ
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暗い谷間をさかのぼり 峠の緑に出た時は
そびゆる白いあの峰に 向かって大きなあくびした
あーあくびした
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2018.11.08
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