こんにちは! 本多建設の本多和彦です。
先月2月10日、山形のシベール・アリーナで
「柳家小三治独演会」がありました。
友人2人と私で1人5000円のチケットを買って
見にゆきました。地元でチケットを購入して
落語を聴きに行ったのはこれが初めてです。
気がつけばそこそこあっちこっちで落語講演を
やってるんですね。
これからは東京の寄席もいいですが、私の好きな
噺家がきたら、積極的に観にいってみようと思いました。
それほど今回の独演会は良かったからです。
「柳家小三治」という噺家、聞いたことはあるけど
あまり知らない、といわれてます。
テレビに出てないから、そんなに人気、実力がないん
じゃないなんて小三治自身、言われたそうです。
「冗談じゃない、テレビに出るほど暇じゃねーんだよ」と、
言ってやったそうです。そのとおりなんですよ。
この人、人間国宝なんです。知ってました?
落語家として人間国宝に選ばれた人は
これまでたった3人です。
一人目、1995年に認定されたのは五代目
柳家小さんです。もう亡くなりましたが、
若手の人気噺家で、孫の柳家花緑が受け継いでいます。
五代目小さんは丸顔で剣道家でもありがっしりした
体をしていました。
テレビのコマーシャルでは永谷園の味噌汁
にでていましたから、ああ、あの人かと
思いだす人もいるでしょう。
二番目に認定を受けたのは、1996年、上方落語で
有名な三代目桂米朝、テレビにもよく出ていました。
当時下火であった上方落語の復興に努めた立役者としても
有名です。2009年には演芸の世界で初めて文化勲章を
受勲するなど華々しい経歴の持ち主でしたが、
2015年に亡くなりました。
そして三人目として、十代目柳家小三治が2014年、
認定されました。落語協会会長を2010年から2014年
まで努め、現在は落語協会顧問として活躍しています。
1939年生まれですから今年で78歳となります。
五代目柳家小さんに弟子入りし、噺の導入部分である
「マクラ」がとても面白いことから「マクラの小三治」と
いう異名をもっており、前座時代から実力があり、
古今亭志ん朝が若くして亡くなり、立川談志もいなくなり、
これからの古典落語は小三治にかかっているといわれて
いるほどすごい噺家なんです。
私が東京で学生時代を過ごしているとき、
昭和40年代の中頃、私の従兄弟が無類の落語好きで、
よく二人で落語の話をしていましたが、
彼はわたしより何倍も知識が豊富で、よく寄席にも
行っていたようで、こちらは田舎から出てきた
おのぼりさん、彼の言っていることがよくわからないけど、
いかにも知っているふうに取り繕い、見込みのある
若手噺家は誰だと聞いたところ、即座に名前が出てきたのが、
小三治でした。
十代目小三治襲名が昭和44年でしたから、
この話は昭和45年以降かもしれませんが。
従兄弟の落語に対する慧眼に今も脱帽しています。
小三治の芸風。お客に媚びず、決して笑いを取ろうとせず、
飄々と語って、ふっといなくなるような雰囲気ですかね。
「あざとい形では笑わせない芸」を信条にしていると
本に書いてありました。
今落語ブームといわれていますが、これでもかといった
笑わせ方に飽きてきました。というより品がなくなっている感じが
します。小三治の落語をもっともっと聴いてみたくなりました。
2018.03.08
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