明けましておめでとうございます。
今年初めてのブログ書き込みです。
正月は1日から3日まで 家から一歩も出ないで、午前中はウオーキングマシーンで90分歩き、筋トレ30分、
夜は焼酎お湯割り一杯のみと極めて健康的 に過ごした結果、体重71㎏が70㎏と1㎏しか落ちませんが、
気分は上々、身体は軽くなり、爽やかな正月を送りました。
昨年12月9日、私の大好きな作家、野坂昭如が亡くなりました。
心不全のため、と新聞には載ってありました。1930年(昭和5年)生まれですから、享年85歳となります。
2003年に脳梗塞で倒れてからリハビリを続けながら、テレビ、ラジオには出演しなかったが、
執筆活動は続けていたようです。あれくらいの大酒飲みが85歳まで生きられたのは不思議というほかありません。
彼の作品と初めてで出会ったのは、昭和45年6月、大学4年で、そろそろ卒論を書き始めねばならない頃、
どうも卒論に取り組むのが嫌で、一日延ばしにしていたときでした。
当時夢中になって読んでた作家に織田作之助がいました。
織田作之助の文体に影響受け、それが自分の文体となったと、織田作之助全集の解説に彼が書いてあったので、
それでは読んでみようと、昭和42年の直木賞受賞作「アメリカひじき・火垂るの墓」を読んだのが始まりでした。
ものすごい衝撃を受けました。まず地の文という文体に惹かれました。
文節に切れ目がなく、句読点だけで1ページも続きます。
多分日本の伝統芸能である「話芸」、つまり落語とか浪曲とかの語りと文章の混合のようなものだと思います。
私は小さい頃から-ものがたり-が好きでしたので、すぐにこの文体に馴染みました。
「火垂るの墓」は今ではあまりにも有名で、終戦の焼け跡に兄妹が身寄りもなく投げ出され、
やがて二人とも餓死してしまう、作者の原体験が書かれてあります。
野坂昭如を「焼け跡・闇市派」と呼んだのは彼の作品を一貫して流れる源流とでもいえるからでしょう。
「アメリカひじき」こそ彼の独特の自虐嗜好のユーモアが存分に出ています。
焼け跡に米軍用に飛行機から落下した食料を、日本人が盗み、乾燥ひじきに似たものを
何度も茹でて塩ふって食べたがさっぱり美味しくなかった、「アメリカ人はなんでこんなまずいもの食ってんのやろ」、
腹がへってるから食べてはみたものの、後から町会長が聞いてきたら、それは紅茶だったという話です。
人間の業の深さ、醜さ、小心さなどをすべてさらけ出して、野坂自身も露悪趣味や偽悪家を平然と演じては
物議をかもしだしていました。
処女作の「エロ事師たち」は人間の根源的な業の哀しみの典型的な作品かもしれません。
クスクス笑いながら、やがて悲しくなる、野坂作品の方向付けをしたものでした。
さらにタイトルの面白さにも惹かれます。昭和45~46年頃に読んだ、「骨餓身峠死人葛」-ほねがみ
とうげほとけかずら-や、「死屍河原水子草」-しかばねかわらみずこぐさ-または、「欣求穢土」-ごんぐえど-など、
歌舞伎の題名のような読み方や、「欣求浄土、厭離穢土」を茶化した付け方など、すべて新鮮な感覚で味わったことを
思い出します。
野坂昭如が亡くなったことで、戦後の「焼け跡・闇市派」がもう誰もいなくなったような気がしてなりません。
彼の作品だけは永久に読まれていくことを望みます。
彼の「地の文」の文体を少しでも真似てみたいのですが。
2016.01.13
一覧へ戻る