こんにちは! 本多建設の本多和彦です。 |
武漢市の東湖のほとりに木造ツーバイフォーのモデルハウス |
を建て、外国人または中国人の富裕層に購入してもらい、事業 |
展開を計画しました。会社設立もうまくゆき、日本だけの資本で |
登記が認められました。中国の会社との合弁は普通ですが、 |
独立資本としてはまれなケースだと言われました。 |
基礎工事も完了し、40フィートのコンテナ6本がアメリカの |
西海岸ポートランドから船積みされ、上海に着くのを待っていま |
した。予定通り上海港に着き、そこから揚子江を武漢まで |
登るためには、コンテナ船から小さな船に乗り換え、遅くとも |
一週間内には着くはずでした。当初の予定では8月25日には |
着くはずでしたが、なかなか到着の連絡がありません。ようやく |
第一便が届いたのは9月3日で、しかもコンテナ6本のうち半分 |
の3本だけでした。20日すぎにはアメリカの大工さん4人を |
武漢に乗り込ませ、スタンバイしており、彼らも品物が来ないので、 |
いらだっていましたから、すぐに3本のコンテナには材木が積まれて |
あるので、作業に入ってもらいました。 |
なんとか建物の一階部分は立ち上げましたが、2階の材料が |
残りのコンテナに積まれたあるため、それ以上作業が続ける |
ことができません。残りがいつ着くのかはいくら問い合わせても |
要領が得ず、このまま大工さんを引き留めることは厖大なお金 |
がかかりますから、一端帰国してもらい積み荷が全て着いてから |
あらためて彼らにお願いすることになりました。 |
私たちもすることがなく、いつ来るかわからぬ船をただ待つ |
ことは出来ませんので、とりあえず、私と監督2人のうち1人を |
連れて日本に帰ることにしました。残ったのは一緒に会社を |
作った私の友人ともう一人の監督の2人でした。 |
帰った日は9月13日ですから、丁度40日の武漢滞在でした。 |
残った2人も10月中旬には戻りました。その時もまだコンテナは |
着いていません。結果として残りのコンテナが着いたのは |
その年の年末12月中旬でした。そこで初めて遅れた理由が |
解りました。上海港から揚子江へ登る船便は、当時1日1便 |
しかなく、上海港のコンテナヤードには毎日たくさんのコンテナ |
が積まれ順番待ちをしています。1日の便数が少なく、 |
順番を早めるために賄賂が横行し、正規の手続きをしている |
我々のコンテナが遅れてしまったのではないかとその時言われ |
ました。ただ確証はありませんがおそらくそれが原因であった |
ようです。 |
「郷に入れば郷に従え」はもちろんわかっています。会社設立 |
登記の時やそのほかの件でも実際にこの目で見、体験もして |
きましたから。ただ武漢市というエリア内では有力な人には |
助けてもらえますが、上海というエリアでは彼らの力が及ばなか |
っつたようです。そこもまた中国という独特のセクショナリズム |
なのでしょう。 |
12月に品物が着いて、すぐにでも再稼働すればよかったのかも |
しれませんが、年末、年始に入り、さらにもう一度アメリカ人の |
大工さんを呼んで、二人の現場監督をやり、再開するには |
予算が大きく膨れ、私の会社の地元での現場監督不在を |
続けることは不可能に近く、時間をかけて体制を作り直して |
もう一度やり直すことになりました。 |
その頃、武漢の不動産屋と、工期の件で揉めて、工期延長が |
できず、建物を取り壊し、土地を戻すことになりました。 |
つまりモデルハウスの材料はそのまま残り、倉庫を借りてそこに |
保管し、武漢プロジェクトは終わりを告げたわけです。 |
次回は武漢で出会った素敵な人を紹介します。私たちの |
会社の顧問になっていただいた、ラストエンペラーの親戚、 |
東洋のマタハリといわれた川島芳子の甥にあたる、愛親覚羅 |
蓮紳さんと言う人です。 |
プロジェクトは失敗しましたが、いろいろな出会いがあり、今から |
22年前の中国の奥地で40日暮らした体験はそれからの自分に |
多大な影響を受けたことは間違いありません。 |
2015.10.23 |
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