和歌山弁で「なっとうなるか?」とは「何とかなるかな」という意味。
小さな自営業を営んでいた主人の祖父は、自分が引退して息子に仕事を引き継ぎ
20年以上もたつのに、「息子は仕事をちゃんとやっていけるか?」と
毎日のように心配していたそうである。
なんと有り難いことでしょう。
その祖父も今では天国の人である。
自分が周りから身の回りの世話を心配されていても、
それにはあまり視点をあてず、家族の心配をしていたのである。
義母はその質問の度に「なっとうなっている。」と答えていたそう。
実際には「(祖父が)なっとうされている。」のだと介護をしながら
母が言っていたのを覚えている。
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私自身も年は大台にのり、忘れ物、なくしものが急激に増えた。
「なっとうされる」日もそう遠くはない?
いや、すでに「なっとうされている」部分もあるのは確かだ。
私は毎日が楽しくてたまらない。
長寿ならこれからも夢を持って生きていきたい。
もしもお迎えが近いなら、一日を大切に精いっぱいに生きていきたい。
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祖父を大切にしていた義母も米寿が近い。
お陰様で、たいして「なっとうされる」こともなく元気です。
私も元気の源を伝授してもらって、
米寿を過ぎても笑って過ごしたいと思う。
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