「いつまでも同情される沖縄であってはいけない。」
1972年5月15日(沖縄本土復帰50年)を
体験した方の談である。
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「沖縄大好き」、皆様も同じ思いでしょう。
"無限を感じる癒しの海"、"島民の穏やかさ"・・
沖縄は小笠原諸島と同じく
日本の"ハワイ"ような位置づけです。
かつて「琉球王国」であった今の「沖縄県」は、
琉球語が本土の他県の方言とは異なったように
感じられるのは、その歴史的背景からでしょうか。
かつては日本本土と一体であったはずの沖縄。
独自の文明・文化と風土で、
「隋」から「琉球」と呼ばれるようになりました。
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戦争体験者の視点に立てば、
その果てしなく、碧くもあり淡青い海は、
悲しい歴史と現在を哀悼しているようでもあります。
「戦争で、日本唯一の地上戦があった」
「米軍基地問題」
「本土からの冷たい偏見」
かつて、2回、沖縄を観光しました。
1回目は、35年くらい前。
沖縄本島と宮古島の2島めぐり。
「ひめゆりの塔」「ムーン・ビーチ」・・定番の観光。
海に潜り、歴史に触れたような一時の感傷と共に
自分の若さを楽しみました。
でも、ホテル・スタッフや戦争の語り部の方、
観光局の方は、他県の同職の方とは違う印象でした。
私の気のせいでしょうか・・
県民の方にとって、本土からの観光客は
彼らの苦悩を知らない「呑気なお客さん」であり、
100%ウェルカムではなかったような印象でした。
2回目は約4年前。
那覇のお土産屋さんも、夜の糸満市もすっかり観光地
が板についた印象。
完全に"歓迎された旅行客"として、旅を終えました。
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薄れゆく歴史の記憶の中、
アメリカ基地問題を抱えながら、
時間は進んでいくものです。
「本土からみたら、基地問題は沖縄だけの苦しみ!」
(沖縄住人の声)
また冒頭での言葉
「いつまでも同情される沖縄であってはいけない。」
いつか、日本の誰もがこのような思いを持たない
日が来るように、
同国民として、これから歴史を刻んでいくべきです。
繰り返しではありますが、
何もしなくても時間はただ過ぎ去ります。
ロシア・ウクライナ問題も
基地問題の方向性を考えるヒントを与えてくれています。
最後に
10年後の5月15日には、
「沖縄本土復帰60年、おめでとう。」
というメディアの言葉があふれることを
心から願っています。
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