「男もすなる日記といふものを
女もしてみむとするなり。・・・」
有名な紀貫之の「土佐日記」の冒頭です。
平安の昔より、
日記は女性が好むものと思われているようで
特に現代では、男性が日記をつけることに、
違和感があるようです。
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また近頃、日記はSNSへの投稿へと
移っているようにも感じます。
SNSは、不特定多数の人の目に触れます。
その日の出来事や、生の感情を
個人の心の世界に置くのではなく、
お友達や他の人にも、
同じく分かちあいたい、
共感してもらいたい、
という願いが、根底にあるのだと思います。
かつて、文豪、夏目漱石や森鴎外も、
日記をつけていたことは有名ですね。
それらに触れることは、
彼らの作品を読むこと以上に興味深いもの。
作話・小説でもなく、実生活の飾らない素の部分が
色濃く反映されているからでしょう。
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では、なぜ人は日記を書くのでしょう?
精神科医や脳科学者達から
諸説、意見を聞くけれど、
今日、友人とこんな話をしました。
ヒトラーとプーチンの話をしている時です。
アンネの日記の話が出て
その友達が日記をつけているかどうか、
聞いてみました。
彼は、小学校の頃から日記をつけているそうです。
日記帳も有名な絵画の表紙で飾られ、
トラディショナルな大学ノートのイメージとは
違いました。
(自分の時代遅れを実感・・)
そして、ごくたまに、
昔のページを読み返すことがあるそうです。
勇気を出して聞いてみました。
もしも、自分がお墓に入った後、
その日記を誰かに見られたら恥ずかしくない?
その友人の返事。
「・・・誰かに読んでもらうために
日記を書くわけではないけれど、
僕が、生前どんなにみんなを愛していたか、
僕がとても幸せな人生を送っていたことがわかり
死を悲しまずに良い思い出にしてくれると思う。」
眼鏡の奥の目が、ほくそ笑んでいました。
素直なJさん。
こんな素敵な話を聞かせてくれて
本当にありがとう。
私もこの話を、自分のノートにどめようと
急に日記にトライしたくなりました。
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