夜中にそうっと、お雛様たちを覗いてみた。
今夜ではなさそうだ・・いつかしら?
次の日もまた、障子のの隙間から様子を伺った。
雪洞(ぼんぼり)の頼りないゆらゆらは、
LEDの照明の中では、趣にかけます。
姫女の節句は、人の出入りの少ない居室に飾るのが、
小さい頃の習わしでした。
雛段を立てて、色あでやかな布を敷きつめて、
冠を載せて、お道具をならべてっと・・
黒い台座のあの漆の臭い、衣装絹の繊細なひんやり感。
右大臣はどっち? 白髪の方だったかしら。
ああ、懐かしい。
平安時代にタイムスリップしつつ、
雛あられや菱餅をお供えして、
ようやく完成です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
夜中は雪洞だけを灯します。
お雛さまたちが、夜中に宴をするからです。
それは遥か宮中の御世(みよ)のこと。
子供の私には、
五人囃子の長唄、笛の音、太鼓の響きさえ
この耳に聞くことはありません。
翌朝になると、再びお顔を拝見に偲び込みます。
お内裏様や官女たちの口元の紅に、
雛あられやお屠蘇(とそ・お酒)がついていないか、
真剣に目を凝らしたものです。
お上品な遠い時代の雛たちは、
晩の宴の痕跡を、かけらも残してはいませんでした。
ちょっとばかり、つまんない!
~~~~~~~~~~~~~~~~~
迎えるは、3月3日「桃の節句」
桜餅や道明寺を、口いっぱいにほおばる。
いやはや詰め込みます。
数日前からの菱台のお餅は
カビこそ生えていないものの、
高坏に盛られた"求肥"(ギュウヒ)やあられは、
堅いし、湿気ているし・・
それでも風情があって・・
(そうそう、白やピンクの中に小豆の黒があり、
それだけは除けて食べたっけね)
嬉しくもあり、桐箱におさめるまであと数日という
名残惜しさも共に感じていたのでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
雛段上の、すまし顔の方たちは、
皆が寝静まったら、宴をするのだと純粋に信じていました。
15人のお人形に見つからないようにと
息をひそめて佇んだ、冷たい廊下。
あのひんやり感は忘れられません。
母となった現在、
あれほど焦がれたロマンの世界を
自分の子供に、どれほど
伝えることができただろう。
桃のつぼみのこの季節。
今でも、夜中にふと目覚めると、
亡父が孫に贈ってくれた七段飾りを
見たくて、見たくて、
2階へ上がりたい衝動にかられてます。
きっと今晩も。明後日も。
一覧へ戻る