もちろん完璧な豆まきなどは存在しない。
きみが豆まきをしようとしている事実について、僕はなんの興味もっていないし、意見を求められても困る。
ただ、一つ確実なことは、楽しめばよいのた。
「豆まきをして鬼を追い出す。」
なんとも単純な発想。
僕は知っている。
「鬼退治」と「節分」の意味すらも知らない人たちの間で、この行為が日本の家庭で繰り返されるであろうことを。
かつて僕たちが親から習った、つまるところ風習でしかないのだ。
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ザッザ・ザ~、パラパラパラ。
僕の幼少期の豆まきのシーンを、ごくごく短く表現してみた。
きみにも理解できるだろう。
こんな何の変哲もない短い言葉で、
現代ネット社会においては、
シンパシーをも共感しうる。
大いに味わうべきである。
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〇〇歳にして知った事実。
無残にも僕の心の奥に大切にしまわれていたものを
一瞬にして破壊してしまった。
あれほど恋しかった母が、そんなシミ垂れたことをしたはずがない。
戦後という悲しい時代背景が、彼女をそうさせたに違いない。
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「鬼は外」
「福は内」
そんなありふれた言葉で、古式ゆかしき日本の行事を済ませるつもりでいる。
僕にはその理由はわからないし、知る必要もない。
そのこと自体を「かわいい」と表現する自分が、なんとも正直でいとおしい。
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内儀の口が動いた。
「お義母さんは、お豆がもったいなくて室内に蒔いていたんだって。
故郷の〇〇山県の風習というわではないそうよ。」
何が起こったのか理解できなかった。
果たして彼女はどういうつもりで、
僕にそれを告げたのか。
聖母マリアの「受胎告知」よりも、はるかに強烈。
内儀について僕が知っていることは、
僕よりも早く起きて、7時に僕を起こすことぐらいだ。
認識はこれで充分。
しかしながら、この発言について深く掘り下げずにはいられない。
何がそこまで僕を突き動かしたのか。
ハッキリと正体はわからない。
郷愁という平易な言葉ではとても表現しつくせない、
"魂の内に宿る何か崇高なもの"が、
僕にこのような疑念を抱かせたのだ。
「内儀こそ鬼だ!」
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グー・グー・グ~~~、ウガウガウガ。
隣に横たわっている物体に、
特に今さら、さらさら興味はない。
今のところ、たぶん。
いや待てよ。
ブクブクと太っている隣の物体が
福の神の仮面をかぶった「鬼」だとわかった以上、
別段興味がないなどと言っている場合ではなさそうだ!
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このページが、少々の君の癒しになれば幸いである。
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