箱根駅伝には紺碧の空がよく似合う。
富士山と高く浮く白い雲。寒さがひとしお肌を刺す。
(日本のお正月には、富士山と箱根駅伝は欠かせない。)
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<1月3日午前・箱根駅伝(復路)>
戸塚中継所付近(↓↓ 筆者撮影)
青山学院が鮮やかな青緑のウエアで、さっそうとタスキをつないでいく。
「1位の風格」か?私のひいき目か、余裕をも感じささせるテンポ良い走りが気持ち良い。
そのあと、何人もの選手が、沿道の少し遠慮気味の観衆の中を抜けていく。
コロナ禍での駅伝。
私達の心のもどかしさも、選手たちのダイナミックな走りが"洗礼"してくれるよう。
そこへ突如、奇怪なものが現れた。
中継車のような大型車。 車上に拡声器が付いている。
「何やってんだ! みんなのことを考えろ! 前の選手(タスキを待つ選手)のことを考えろ!・・・」
一体、何の騒ぎ?
いや、失礼。
それは私が観た"箱根駅伝の一面"でした。
この日初めて、箱根駅伝に「繰り上げ」というシステムがある事を知った。
20歳前後の選手に、このルールはあまりに残酷すぎる。
なぜなら、駅伝において"タスキをつなぐ"ことが、とても深い意味があり選手個人の使命であるからだ。
(タスキをつなげなかった大学は失格にはならないが、本来の駅伝の由来を考えると、とても残念なこと)
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では「タスキ」でつないでいくものは何でしょう。
単なる「タスキ」という"1本の布"でしょうか?
決してそうではない。
駅伝選手たちにとっては、まさに自分たちの"汗"の結晶。
人によっては「努力」「命」「青春」と表現するでしょう。
最後までタスキをつなげなかったチームは、"完走した"というより"参加しただけ"という気持ちでいっぱいでは?・・
今の彼らにとって、「参加することに意味がある」
そんな言葉は慰めにもならないだろう。
「タスキをつなぐ」の意味は何でしょう。
自分の青春、命、希望を人に伝える。
世代交代をする。
伝統を次世代へ引き継ぐ。
・・・いろいろ意味を持っていると思う。
競技において「くりあげ」は一つのルールかもしれない。
でも、やはり高速道路や渋滞がない頃のように、どんなに時間がかかっても"タスキを繋いで完走する"満足感を、将来を祝望される彼らに体験させてあげたかった。
(戸塚中継所で「繰り上げ」になってしまった日体大の選手=
拡声器車に追い立てられていた選手の後に走った最後の走者↑↑)
「あと数秒早く中継所につけば」との声がネットに上がっていた。
上の写真の彼(日体大)が泣き崩れている姿もネットに映っていた。
果たして「くりあげ」が頭をよぎり始めてから、彼はどんな思いで走ったのだろうか。
頭の中は?
怖かった?
あ、あと数百メートル。
心臓が口から飛び出しそう?
え? そんな!
・・・"その時"は残酷にもやってきた。
彼の眼は見た。
目前の先輩の選手が繰り上げスタート。
"無念"? そんな言葉じゃ追いつけないよ。
決して彼一人の責任ではない。
彼の前に走ったすべての選手に対する結末なはず・・
今でも彼の"心の叫び"が、私の耳にリアルにたちあがり、胸を何度も突き刺してくる。
その一方、そんな彼をバカにしているような記事もあるそう。
直接は見ていないが、とても悲しく大いなる怒りを覚える。
日本は言論の自由な国。そうあるべきだと思うけれども・・・
神は誹謗中傷者たちを許しても、私の心は彼らを許さない。
日体大の彼の眼には、タスキをつなげなかった "先輩選手の後ろ姿" が焼き付いているに違いない。
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少し気を取り直して・・・・・
繰り上げになってしまったチームをあざ笑うような人々のためにこそ、神様は存在します。
(繰り上げになった選手達が自分の子供であったらと、考えてみてください。
優しいあなたは、 "良くやった" と褒め称え、熱く抱きしめてあげるでことでしょう。)
私も考えてみます。
「私たちは次世代へ「タスキとして」何を繋いでいくべきでしょうか?」
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