「敷居が高い」とは、不義理な事をしたりして"その家にいきにくい"という意味で今でもよく使われる言葉。また「敷居」は親が子を勘当する折「二度とこの家の敷居をまたぐな」という"申し渡し"の言葉としても用いられました。玄関の「上がり框」については、その家の"家長の頭"にたとえられて、玄関の敷居同様、決して足で踏んではいけない聖域でした。
和室おいては「畳のヘリ」を踏んではいけない(特に女子に対する教訓?)とも・・・"女性は畳の横寸の歩幅3歩分で歩くべき"とされた時代があり、「日本家屋としきたり」は切っても切れない歴史があります。私の友人の実家では、今でも実娘でありながら嫁に行ったら他家の人。里帰りの折、実家の者の許しがなければ玄関の敷居をまたぐことが出来ません。つまり勝手に家に入れないそうです。いろいろと勉強になります。
・・そうそう、玄関の框の話でしたね・・・
熟練の大工さんからのこぼれ話。
「若い頃は、玄関の框や、和室の床の間に造る床框(とこかまち)や縁框をよくやりましたよ。「框」という段差や区切りは、その家の格式や考え方、財力を現わす部分でもあったけれど、今は以前に自分たち大工が造作した敷居を削って平らにしたり、玄関に段差解消のためスロープを付けたり、生活スタイルの変化で仕事も変わってきたよ。」 そうですね。
・・おまけの話・・・
大工さんの仕事の内容は変わっても、その家の住人が住みやすくお役にたつ「家づくり」の心は、嬉しいことにずっと変わりはありません。
(活け花・池ノ坊 「生花正風体」(しょうかしょうふうたい)・・明治時代にできた様式。座敷の床の間に飾るいけばな)
・・おまけおまけの話・・
「床の間」とは家の格式を高めるための空間(先述)とし、8畳以上の広さの和室にのみ造作されたという説もあります。
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