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98歳、歴史の生き証人のお話

昨日の「佐久市臼田文化センター郷土史講座」は「今だから語れる郷土史の真実~北陸新幹線誘致の舞台裏~」でした。
講師は元佐久市長 神津武士氏です。
昭和元年生まれの御年98歳。
昭和元年って8日しかないのご存じですか。まあそれはさて置き(笑)
 
新幹線の佐久平駅ができるまでの経緯・・・・・簡単ではなかったのです。
当時、夫が役所にいたので多少なりとも関心をもっていました。
 
信越線は群馬から軽井沢に通じていましたが、新幹線は1000分の12の勾配で軽井沢駅は無理ということでした。
だから当初は軽井沢を通らないで、我が家のすぐ近くに駅が出来るのではないかと期待されていました。
事実そういうプランがあったようです。
 
それが一晩でひっくり返ったと、当時の私は思ったものです。
 
そのあたりの事情・・・・・・やっぱりね。
1000分の12をクリアするためにできたのが、安中榛名駅なんですね。
地図で見ると直線ではなくて迂回して、1000分の12を回避したのです。
 
その政治力と軽井沢の持つ力なんでしょうね。軽井沢の大地主の力と言った方がわかりやすいかな。
 
しかし軽井沢を通ると佐久は通らなくなってしまう。
軽井沢まではフルでここからはミニでと。掛かるお金は10分の1で済むからと。
その頃のことよく覚えています。
 
それを打ち破ったのが元市長だったんですね。この事実を知っている市民は多くありません。
その裏話をたっぷりと。
エライのね、自分がやったやったという政治家が多い中で、けっしてそれを言わないで、かっての部下の名もフルーネームで。そして市民が結集したからだと。
 
私の中で長いこと疑問に思っていたのは、佐久平駅を既存の駅近くにしなかったことでした。せめて500メートル商店街によったならと。市内は3つも4つも核がありましたが、新幹線が開通してから空洞化が進みました。
私がそう思っていた位ですもの、市長さんもそう思っていらしたことを今回ののお話で分かりました。
既存の駅の近くの建物の下には杭が打たれていたり、変電所があったりで立地的にもできなかったのだと。検討はされたんだと。
私何十年ぶりに胸のつかえがとれました。
 
現在の佐久平駅。
新幹線の駅の成功例なのです。
その発展ぶりときたらびつくりします。
 
人は住みやすいところに集まってくると表現されていましたが、人口は増え続けています。
 
お聞きした裏話、私がどんどん広げてもいいものか(笑)
もっともケーブルテレビで流すようです。たぶんあぶないところはカットするでしょうが。
歴史の生き証人なんですね。市民が全然知らなかったことがいっぱいでしたもの。
 
98歳の今でも健康でいられる秘訣もお聞きしましたよ。
毎日1時間、プールで背泳ぎしていますって。18歳からズッと日記を付けていて、俳句を1日3句作られて・・・・・・朝と昼は自炊、買い物もね。
来年3月の運転免許の更新は止められるそうです。
プールに通うのに車がいるのですね。
もう一つ興味深かったのが「祈り」でした。この方の対象は「お母さん」。
なんでもいいのですが、祈ると言うのは謙虚になると言うことなのだそうです。だから無事故だとも。
この「お母さん」は江戸末期から明治に活躍された井上馨さんのお母さんから来ているようです。
母の愛は強い・・・・・・気になる方はお調べください。小学校の教科書に載っていたそうですよ。
 
とても見習えません、私(笑)
 
読みいただきありがとうございました。
 
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