午前中、月1回のエッセーの会、3ケ月前から一人増えて7人。
それぞれが持ち寄った自作のエッセーを読み上げる。
感想は言っても、批評はしない。
それでも長いこと書いていると、それぞれ力がついているのがわかるわ。
おひとりのエッセーに「ひ」と「し」がありました。
東京人と佐久人はこの区別ができないと言われています。
私も典型的。
手書きだと、勘次でかくからいいのだけど、パソコンで書くと変換ができない(笑)
人前で口に出すと、もう隠せない。
「ひ」と「し」に気を使うと、どっちがどっちだかわからなくなり、ますます混乱。
「あなたも佐久っ子ねえ」で盛り上がった。
高校生の時、英語の授業で英訳を指名されて、おんなじとこを3回繰り返させられました。何回やっても答えがまちがっているとも思えないのに・・・・・。
教師は「君はやっぱり佐久っ子だねえ」と。
おいおいそこかよー、と思いました(笑)
それ以来トラウマ。
とにかくエッセーは面白い。
カタツムリのことを書いた、元教師の友人。
カタツムリの卵はどこから出てくるか、でした。
首のところがパカッと割れてでてくるのですって。
それを目撃したことが書かれていました。
産んだ後は、ピタリと口が閉じてわからなくなるのだそうです。
目撃できたって、とても貴重な出来事ですね。
卵は仁丹位の大きさ。
その卵から孵化して、ちいっちゃなカタツムリが出てきたのだそうです。
子供たちと観察。
私もこんな先生に出会いたかったわ。
午後はお客様訪問。
あちこちでお客様とおしゃべり。
このおしゃべりが大事らしい(笑)
お客様がおうちの不具合を思い出してくださる。
ハイ、私たちホームドクターですから。
これまた友人から「そのあたりに、昔『馬場』があったらしいけど」と。
ご自身が研究している事を調べていたら出て来たらしい」
それを聞いた瞬間、私も思い出したわ。
もう何十年も忘れていたけれど。
馬場とは競馬場のこと。
しかし、このあたりが馬場であったとは知っていても、私が子供の頃にはもうなかったはず。
その歴史が知りたいのだろう。
しかし、それを知る年代は鬼籍に入られていて、見まわしても知り合いにはいない。
このあたり、ここ50年前位から人口が増えたところだから。
上水道が普及するまでは、一面の畑だった。
帰宅したら佐久市誌を開いてみょう。
お読みいただきありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。お帰りになる前に下の3つのうちの一つにポチッをしていただけると何よりもうれしいです、お願いします。
中島木材のホームページは こちら
一覧へ戻る