土曜の午後は「佐久市香坂山遺跡出土の旧石器について」と発掘の結果報告会の講演が開催され、夫と共に出席しました。
講師はもちろん、発掘現場でお会いした国武貞克氏です。
佐久市香坂は私の生まれたところです。
小学生の頃、学校から少し離れた場所で土器のかけらを村の子供たち総出で拾ったことがありました。
すぐ止められましたけれど。
たぶんそれは、今回の遺跡よりずっと最近の縄文時代以降の物だと思います。
今回、3万7000年まえから縄文時代、そして現代までつながっただろう命を思いました。
講演の中で、いやいやびっくりです。3万6800年前がさらに古く3万7000年から3万8000年前とわかったそうです。
ユーラシアの最古の石刃石器群と酷似しているとのこと。
そのユーラシア遺跡は5万年前です。そこから西に1000㎞移る事に1000年の時代を経て、韓国には4万1000年前の遺跡が発掘されているとのこと。
そこから、海を渡ってきたのでしょうね。韓国経路なのか、サハリン経由なのか。
日本最古の人類が佐久の香坂山なのか・・・・一番気になるところです。
海から一番遠い地点ですから。
国武氏は、中央アジアや北アジアの遺跡との共通点をあげられました。
標高が1200m前後で水が出るところ(あるところ)・石刃の石材になる石があるところ・草原地帯で大型の草食動物がいるところ。
香坂山と言っていますが、これは林野庁が国有林に付けた名で、正確には八風山1315mの山麓で、遺跡の所は1100m台です。
500mはなれた場所に黒色安山岩があること。ここから500m群馬側に行った矢川峠の下には、香坂川の源流があり、動物の水飲み場になっていて狩りがしやすかったのではないか。
氷河期は2万年前まで9万年も続いていたとのことです。
当時木は生えていず、草原だったのが、発掘された地層ではっきりわかりました。
最初に来た人類が目にした景色は、草原がズッーと続き遠くまで見通せたのですね。
私が幼い頃から慣れ親しんでいた景色、高台に登った時見えた景色に重なっていきます。
国武氏は、ここに立った最古の人はユーラシアの風を感じただろうと表現して、詩人の面も持ち合わせていらっしゃいました。
質疑応答の中で、次の発掘の予定が聞かれました。
国武氏はそれはないと明言されました。掘ってしまうと無くなってしまうと話され、将来の世代のために残しておきたいと。
私たち一般人はあれだけすごいものが出れば、その前後左右はどうなっているのかと期待が募っていました。
市の教育長も、同じことを話され、今後はこの宝を守っていきたいと。
発掘者国武氏の「大事にしてほしい」の言葉が強く胸に響きました。
教科書が書き換えられるような遺跡ですが、いつになるでしょうね、そんな質問もでました。
肝心の石刃までたどり着けません。
あらためて、次の機会に。
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