コロナ禍になってから、人の見送り方が大きく変わりました。
いえ、その前から変わってきてはいましたが、コロナ禍は急速にそして急激にそのスピードを上げました。
都会ではかなり前からでしたが、人の付き合いが濃厚な田舎でもです。
新聞のお悔やみ欄にある、家族葬や近親のみの葬式の数を、信濃毎日新聞の斜面を毎日書き写しながら、これも世相の動向だからと記録に残してきました。
それが今までの見送り方とどう違うのか、よく分かっていませんでした。
なんたって家族葬とか近親者ってなると出番がありませんから。
しばらく前知人がご兄弟を家族葬で見送られました。
お悔やみの言葉を差し上げましたら、家族葬でなされたことをとても悔やまれていました。
人生の中で喪主方になることはそんなに多くはありません。
みんな慣れない中で、今回のコロナ禍で葬儀場との打ち合わせの中で、たぶんドタバタと決められていったのでしょうね。
今回伯母の葬儀に立ち会い、家族葬でも近親者のみでなくても、コロナ禍の影響はありました。
昔は80過ぎれば孫子の正月と言われ、普段疎遠になっている従姉やはとこまでが集い、故人を偲びながら思い出話に花を咲かせたものでした。
それができないのですね。席は互い違いで幅広くとってあったり、会食も止めてとなって。もちろんマスクは外せませんし。
おじおばもこの伯母が最後でした。
これで従姉たち全員が、一緒に会する機会はほぼなくなるかもしれません。
佐久・軽井沢から感染者は出ていません。
今回も県をまたぐ列席者はおられませんでしたが、コロナ禍はすべてのことに変化を余儀させなくさせました。
人生100年時代を象徴するような享年99歳の伯母のご冥福を祈りました。
伯母がその年齢ならば、姪も甥も齢に不足はありません。痛いの痒いのの話も出て、自分たちのこの先に思いも馳せたのでした。
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