19夜様講の前日、夕食を食べていましたら電話が入りました。「お念仏を吹き込んだテープがないのですが」とちょっと焦り気味のお声です。昨年度当番だった私ですが、終わるとそうそうに次期当番にお道具類を渡して肩の荷を下ろしていたのです。
えー、全然記憶がありません。
確かレコーダーをお借りした方にテープ共お返ししてしまったのでしょうか。
あわてて心当たりに電話です・・・・・もしなかったらどうしょう・・・・責任重大です。
昨今、このお念仏を詠える人が少なくなってしまい、継承できないことを恐れてテープにとってあったのです。ところが合いの手に入る鉦の音が、じゃまなので、もう1度吹き込みなおしをしてほしい・・・・と確か昨年お願いしてあったのだけど・・・・・。
このお念仏フルコースなら1時間半はかかるはずを、現実的にその3分の1だけですましているのです。
これを90歳の方にお願いしているのだから、頼まれた方も気が気でないはず。ダメなら今までのでと思ってテープを回したら、フラダンス用だったんだとか。
若い頃このお念仏、ちょっと考えごとをすると、今どこやっているのかわからなくなる。だから睡魔とのたたかいみたいで(笑)
それでも先輩たちがいる頃はそれはそれでよかったけれど・・・・・いつしか年に不足はない年齢になり、参加者は年々少なくなり、さらに後継者がいないレベルになってきたのです。
昨日はとうとうお当番が5名、お客様が3名と過去にないほどの少人数。
ここまでくれば何とかしなければ・・・・・と。
この歴史少なくとも江戸時代まで遡るのではないか、それを私たちの時代で絶やしてしまうことはできない・・・・その責任は重い。
大変だからと簡略化してきたが、衰退に歯止めがかからない。
我が国の高度成長時代と共に、地域の横並びが崩れて、そして今や働き方も生き方も多様になった。
地域の人の付き合い方も希薄になってきている。他人の家に干渉しにくい、早く言えば見て見ぬふりをする時代になつてしまったのかも。
これで言いわけはない・・・・・。
私が小学校に上がる前に母に付いていった19夜様は、地域の女性が1軒に一人、そしてその子供たちでたいそうな賑わいだった。外に出ることの嫁たちの楽しみの場であったろう。
19夜様には余興がつきものだったから、稽古に出られない母が、その代わり何の役でもしますと引き受けたのは「うちの女房には髭がある」というその女房役だった。だから・・・・半世紀以上過ぎたけれど、その母の姿が瞼に浮かんでしまうのかな。
かっては、子を産み育てている年代の楽しみの場も兼ねていたのに、いまやその姑世代が、次世代にも送ることができないままに手をこまねいているのです。
時代が変わった、と割り切っていいものか。
我が国の出生率を見れば危機的な数字だと思う。私たちの老後を物心双方を支えてくれるのは、未来の子供たちである。
子供が少ない・・・・・これがどのくらい大きな意味を持つのか。そして子供が生まれない社会というものを他人事ではなくわが身のこととして考えていかねばなるまい。
19夜様のお念仏を唱えながら、その意味がわかるようになってなおそう思えるのです。
新しくお念仏もテープに吹き込んでいただきました。本当にお疲れ様でした。
そして今までのテープもありました。そのテープは申し送り品ではなく、個人の持ち物で、私の肩の荷も下りたのでした。ほんと私青くなりましたもの。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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