いつもならすぐにアップするのですが、今回はサイドテーブルで眠っていました「長野労基」です。どっだけ多忙だったのか(笑)
書きたいことは山ほどあるのに、時期を失してしまっていて何とも残念ですが、仕事の合間のアップなので、そこはまあーしょうがないかと。
今回の「ひと口コラム」は「社会面の記事が3面でないのに、何で『三面記事』って言うの?」です。よく使っていますよ、この言葉。そんな語源を知っておくのも教養のひとつかもしれませんね。
それでは以下引用です。
明治初期「大新聞」と「小新聞」があって、「大新聞」は知識人や旧士族向け(政治議論を主に編集)、「小新聞」は大衆向け(事件、事故を知らせるかわ
ら版)でしたが、明治20年代に入ると「独立新聞」と言われるその中間的な新聞が発刊されるようになりました。
「独立新聞」のひとつである「萬朝報」という新聞は、1枚の紙を2つ折にしただけの4ぺーじで、一面が「広告」、二面が「政治・経済」、三面が「社会」、四面が「文化・家庭・連載小説」でした。
その後、他の新聞も同じような構成で編集するようになり、社会面の記事が三面で定着し、その後、社会面の記事のことを「三面記事」と呼ぶようになりました。
なお、一面が「広告」だったのは、広告を重要視したわけではなく、新聞配達中に雨などに濡れて記事が読めなくなるのを避けるため、政治・経済や社会の出来事を内側の面に載せるようにしたからです。
以上引用終わり。
なるほど・・・・ですね。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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