5月13日帰宅時、浅間山の裾野には白い雲がたなびいていました。そしてその青色のまじったグレーの色は山頂に行くほど色を濃くしていました。
それは青い浅間山と形容するにふさわしい景色でした。
この山は私を飽きさせることはありません。日々の変り行く様が感動を与え続けてくれるのです。
夕食後たとえ500mでもと散歩にでます。そんな気力がでたのは、昨年の夏以来のこと。
田んぼで苗間の管理をしている方に「こんばんわ」と声をかけましたら、帰ってきたご返事の声が若くてびっくりしました。
日中家にいない私は、嫁いできて40年にもなろうとしているのに、どこがどなたの田んぼなのかわからないのです。
10歳まて暮らした生地の田んぼの持ち主はみんな知っていたのに驚きです。
今の小学校2年生の国語の教科書にある「たんぽぽ」のごとく、今たんぽぽは綿毛を飛ばさんとばかりに、白い綿毛をいっぱいに広げ、暮れかかった道端にポッーと浮かんでいます。この綿毛・・・・農家にき嫌われるんだけどな・・・・。
私は4年生の時の教科書の「たんぽぽの旅」が一番好きだったことを思い出したのでした。
春先には小さかった「ナズナ」が今や種を満載にして誇り高く繁っています。
やっと穏やかに春らしくなった夕暮れです。
5月13日金曜日・・・・私はこの日をいつも自重して過ごします。今年は月曜日でしたが・・・・。
15歳高校1年だった私は6時間目の音楽の授業から教室に戻りましたら、美術で写生に出ていたクラスメートが火事のサイレンがいっぱいしていたと話していました。
いつも通りバスで帰宅した私は「火事で通れないから」と途中で下されました。
ノー天気に歩いて自宅にむかった私を見かねた方が「お宅が・・・」と教えてくれました。
会社も自宅も焼けおちていました。皆様のおかげですぐに再建できましたが、15才の春に訪れた、人様にお見舞いをいただいたことのプレッシャーは私の心に重くのしかかりました。
あの火災がなかったら、私はもっとド派手な人生を送っていたと、夕闇に色を変える浅間山を見ながら思ったのでした(笑)
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家