先日来、長年書きためた日記帳をどうするかという新聞の投稿が続いた。
微妙な気持ちである方も多いではなかろうか。
本当に多感な頃の日記は火災で消えた・・・・その頃の日記が今思えば一番貴重だったかもしれない。
書くことは嫌いではないから、あれやこれやと書きためている。
先日紙類の処分をしていたら、40年以上前の日記帳が忽然と姿を現した。あまりに無防備なままにタイムスリップしてしまった。
古い日記を読むということは簡単なことではない、体力も気力も必要だと感じた。
このまま保存すべきか、生きた証として子や孫に残すべきか・・・・のほどのものでもないかな。
落ち込んだ時や、悲しい時や苦しい時も日記が書けなかったから、まだ明るい日記であるかもしれないが、一方肝心なところが抜けているかもしれない。
記事の中で日記研究家の島利栄子さんが「日記は書かれてから50年、100年の時を経て、はじめて史料的価値が出るもの。残せる状況にある人は、残してほしい」と言っている。
何年か前島さんが収集した日記の内容を記事にしたのを読んだことがある。まさに歴史的史料と言える内容だった。
島さんは17年前から「女性の日記から学ぶ会」を主宰。近現代の日記4500点を収集・保存しておられるという。
日記からね書いた本人の生き方とともに時代背景や社会風俗が読み解けるという。
日記は庶民の文化遺産。処分に困ったらいつでも相談してほしいと、電話番号が記されていた。「学ぶ会」の連絡先 047-459-9464.
我が日記は史料的要素は少ないかも。
お盆の時ご先祖の位牌を飾りつつ思うのは、3代も経てば名をも忘れられてしまうのが嫁であると。
我が命が累々と伝わっていけさえすれば、幸せと考えるべきなのかもしれない。
親は子の捨石になるのが、世のならいかも。
どうすべきか自分の中でも結論が出ないが・・・・体力があるうちに決断をすべきことのひとつと思っている。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家