19夜様のお道具箱に3本の掛軸が入っていた。2本は字、1本は如意輪観音像である。
私の知っている限りでは、この如意輪観音像のお軸を使っていたが、後の2本は古色蒼然としている。
終わった後、自宅で道具の整理をしながら父に見てもらった。
父が1本は山岡鉄舟のものだという。もう1本は昭和の時代の近在の住職さんが書いた物ではないか、と自分の所持している掛け軸の字と比較してくれたが、字体が違うから、昔の住職さんかもとなった。
山岡鉄舟は幕末から明治に活躍された方だが、この方は頼まれれば断らずに書かれたとのことで、生涯に100万枚書いたとも言われているらしい。
安養寺の普請の時、これを資金にしたらと書いてくれたそうで、この近在は鉄舟の作品を所持している家が多い。
身近なところに意外な歴史が存在したみたい。
父が男念仏でも鉄舟の掛軸があったと前々から言っていたので、これのことでしょうかと聞いてみたが、分からないという。
19夜様は女人だけの参加ですものね。
男念仏は毎年11月頃、当番となった個人の家で開催されていたらしい。私より7年~8年前に嫁に来た方は記憶にあるという。
これも昭和40年代に入って形を変えた。今は4軒ごとが1年ずつの順送り、不幸ができた時に棺料といって1軒200円を集めて届けている、それだけになった。
土葬だった時代の墓堀当番の名残なのかもしれない。
その男念仏の掛軸が19夜様のお道具箱に入っているものなのか、別物なのかわからない。
男念仏の歴史を知っている方も少なくなってきているだろう。
未来志向ってこともあるけれどねえ(笑)
昭和も遠くなったもんだねえ。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家