カンボジアはアジアで1番暑い国らしい。この時期でも帽子はかかせない。4月ともなれば、最高は47度最低が39度ということもある、ときいたことがある。
台風も地震もないという。だから遺跡の破壊は、戦争ということになるのだろうか。
遺跡にはえる巨木をみると時を感じる。自然の風化も最近の酸性雨も破壊を進めてきているだろう。
ポルボト時代に1000万人の人口が400万人減ったと7年前にきいた。ガイド氏は辛くて話せないと言った。現代にこんなことがあったのが不思議と思われるほどの大虐殺がおこなわれたのである。
その傷はまだ癒えてはいないなんてレベルではあるまい。おおきな「モノ」を抱えながらも、この国の人たちが前をむいて生きていこうとしているのを感じる。
7年前遺跡や店先の駐車場で物乞いをする幼子の目を見たときの切なさが忘れられなかった。
今遺跡の駐車場でおさない子供の物売りに出会う。場所が限定されているらしく、遺跡の中まで追っては来ない。
その子たちの目を見ると、あの暗さがないことに少し安堵する。そして幼いながらにも駆け引きをする「その目」に逞しさを感じる。
行きと帰りでは値段がぐ~んと変わる。安くてもそんなには要らないのよね。行きに「名前を教えて!!」と売り込んできた女の子から、あえて行きの値段で1枚だけ買う。
免罪みたいなことでごめんね。
我勝ちにと売り込むパワーに生きていく力を感じる。誰もが1度には豊かにはなれないかもしれないが、平和であればこそ少しずつでも豊かになっていくだろう。
遺跡の参道に楽団がいる。地雷で四肢に障害を得てしまった方たちである。近づくと日本の歌が演奏される。
地雷は安価な武器だったから、たくさんの地雷がこの国に埋められた。戦争は終わったかもしれないが、その地雷は残り続ける。
雨期になり川が氾濫すれば、埋められた地雷も流されてくるだろう。今もその被害を受け続けている。
戦争は残酷である。(ポルポトの虐殺も戦争というならば)
7年前観光客の8割は日本人だと言っていた。今はその日本人よりもずっと数が多いのは、中国人や韓国人かもしれない。
シェムリアップの上空を飛び立った時の眼下の明かりを見ると、この国が外国資本を入れて産業を発展させていくまでに、まだ時間がかかるかもしれない。
隣のベトナムのホーチミン空港の上空から見た明かりは、まさに電力は国力だと確信させるほどに煌々としていた。
本当に最近にあったカンボジアの悲劇であるが、私たちはその実態にふれることがはばかれた旅でもあったかもしれない。
先日テレビで田原総一郎さんが、東西冷戦の代理戦争のことを話していた。どこでどうなってそうなるのよ、と言う感じでどこかの国の庶民に災難がとんでいくのである。
眼下の明かりを見つつ、右肩上がりという「幸せ」を手のひらからこぼしたくないという欲望が、私たちを惑わせる。これだけ豊かな国であっても、私たちは目の前の「幸せ」をもっと欲しがり、次世代にツケを先送りするのだろうか、とぼんやり考えていた。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家