瑞巌寺 は ずいがんじ !!
みなさん読めたでしょうか?
歴史の中で、建物とその呼び名が変わっています。
もともとは比叡山延暦寺と肩を並べる意味で、延福寺からはじまり、
円福寺→瑞巌寺。
瑞巌寺の正式名称は 松島青龍山瑞巌円福禅寺 だそうです。
今の建物は伊達政宗が、自ら地縄をはり、
大工 梅村彦左衛門家次一家 と名工約130人が建てたそうで、
その辺の予備知識を持って、瑞巌寺へ挑みました。
が、修繕工事中で、建物全部みることができなくて残念(┬┬_┬┬)
見ることができた一部を抜粋して紹介します。
写真は総門です。開口部上に扁額(横に長い額面)が掛けられていて、
桑海禅林 (そうかいぜんりん)と書かれています。
扶桑と呼ばれる日本の、海辺近くに建つ禅の寺(林)という意味です。
この扁額でまず圧倒されました。
総門をくぐると、岩肌壁面に彫刻で、仏像がたくさん彫られていました。
下の写真の格子のはまった洞窟で、
鎌倉時代半ばに法身禅師と執権北条時頼が出会ったといわれております。
法身禅師は円福寺を開山した方です。
下記写真は、庫裏とよばれる、寺の台所です。
今回瑞巌寺のメインはここでした。
国宝に指定されています。
中には、特別公開で、代々の伊達家の位牌が展示してありましたが、
室内撮影禁止のため、写真は外観のみです。
名工たちの匠の技に驚嘆しました。
入ってすぐの、大きな梁は見ものでした。
木材は、和歌山県の熊野山中から海上をいかだで運んだそうです。
その木材をここまで仕上げてくれて、
130人の名工たち、ありがとうございますっ!!
下記は、伊達政宗の正室 陽徳院の御霊屋の復元です。
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