先日、愛媛県新居浜市のマイントピア別子を観光して来ました。
かつて、この場所には、1万人以上の人々が暮らす、鉱山都市が存在していました。
別子銅山の歴史は古く、1690年江戸時代に鉱夫が銅の露頭を発見した事に始まり、明治、
大正、昭和と時代の大きな波に飲み込まれながら、1973年に閉山するまでの、283年間
に70万トンの銅を産出しました。
その間、過酷な労働条件、採鉱に伴う鉱山事故、銅の採掘、精錬等により発生する亜硫酸
ガスによる公害問題などを抱えながらも、日本の貿易や近代化に大きく寄与しました。
現在の住友グループの基盤をなったのもここからでした。
現在は、マイントピア別子として、かつての繁栄を支えた鉱山に、蒸気機関車のトロッコ列
車で行ける鉱山観光や産業遺産巡り、旧端出場水力発電所見学や、砂金取りや銅細工体
験工房などを観光施設が整っています。
また、東洋のマチュピチュと呼ばれる東平(トウナル)地区は、マイントピア東平ゾーンとして
整備され、まるで古代遺産の様相の精錬所後や歴史資料館、マイン工房などがあり当時
5000人余りの鉱山関係者とその家族の暮らしぶりが偲ばれます。
マイントピア別子は車で1時間半くらいで行けますので、皆様も是非一度訪れてみてはいか
がでしょうか?