みなさまこんにちは。内海です。
朝晩は少しずつですが、過ごしやすくなってきた感じですね。
しかし、まだまだ日中は暑いので、熱中症などお気をつけくださいね。
当社の歴史をご紹介するシリーズ。第5回は、代表取締役の私こと内海 明の社会人時代を振り返ります。
【静岡市のゼネコン会社に就職】
大学を卒業した私は、父親の知人の紹介で、静岡市内のゼネコン会社にUターン就職することになりました。
入社後に担当することになったのは、現場監督の仕事です。
最初の現場は静岡市内の繁華街の敷地に計画された貸店舗用の鉄筋コンクリート5階建てビルの建て替え現場で基礎工事が始まったばかりでした。
現場監督担当の同期の社員は私を含めて4人いましたが、他の3人はみんな県内の田舎の方の担当で、たまたまですが私1人だけ街中の現場に配属されて、羨ましがられたものです。
建設現場は呉服町と両替町の境目にあり、現場周辺には仮設事務所を建てるところがないため、近くのマンションの一室を借りて事務所として使っていましたが
そのマンションの1階にはクラブ(昔の)が入っていて、当時の所長が「近隣対策」と言いながら週に1回ぐらいは飲みに連れて行ってくれたのも思い出深いです。
【現場監督の仕事】
現場監督の仕事は、基本的に工事の管理をする事です。品質・工期・安全・原価のそれぞれの管理があります。その中でも工期は天候・職人の手配・材料の発注等に左右され、期日内に施工するのは何よりも大変でした。
工場や公共施設などの大きな建物は余裕のある工期を持っている現場は少なく、ギリギリの工期で予定を組まざるを得ない場合が多かったので、4か月間ほぼ休みなく働いたこともありました。(今ならブラックと言われそうです)
それぞれに思い出のある現場ばかりでしたが、その中でも当時担当した、小学校の校舎の増築工事もいろいろな条件があったのでしょうか?着工時期が遅く、それでも新校舎で卒業生を送り出したいという学校側の要望を叶えるために、休みなしで働きました。
職人さんが朝からスムーズに作業を進められるように、前日までに現場で「墨出し(工事箇所にあらかじめ基準の線をつけておくこと)」をしておくのも現場監督の仕事でしたので、毎晩夜遅くまで現場で投光器を使って作業をしたり、施工図を現場事務所で作成しました。
学校建設の完成後に次は、大手食品会社の倉庫棟新築の現場監督を一人で任される事になりました。
それまでは所長や先輩の指示のもとに行っていた管理業務を、初めて一人ですべてやらなければなりません。
ある程度仕事を理解してきた時期になってはいましたが、大きな額の現場予算を会社から預かっての工事はさすがに業務が大変で辛かった思い出があります。しかしその現場で悩んだり苦しんだりした分、仕事も沢山覚えた現場でもありました。
工事にあたっては、設計士が作成した設計図面をもとに、工事の詳細を職人さんに指示するための「施工図」という図面を作成しなければならないのですが、その現場の設計監理をしている設計事務所の要求する品質が、なかなか厳しかったので、施工図面のやり取りや施工方法を検討していくのが特に大変でした。でも、今から思うと大変勉強になったし、貴重な経験だったと思います。
【働きながら資格を取得】
現場監督員は住んでいる所から直接、工事現場に通勤するので本社に顔を出す機会はほとんどありません。
同僚や他の社員の方々と顔を合わせるのも忘新年会くらいでした。
同期の監督員同士も各現場に散らばっているため、そんなに会える機会を持てず、仕事帰りに一杯・・・というようなこともほとんどありませんでした。
当時を振り返って仕事に携わっての印象に残っているひとつに、一日の仕事を終えてから、一級建築士の資格取得の為の学習に精を出したことです。卒業以来していなかった勉強でしたが、監督員として重要な資格でしたので必死でした。
最初の試験には独学の勉強で臨みましたが、残業が多いのでなかなか進まず、就職3年目から受験の為の専門校の夜のコースに通い始めました。それでも仕事優先で学校の授業も受けられない方が多く、結局のところ一級建築士の資格を取得したのは内海建設に入社した1年目の年でした。今振り返ってみても、当時はよく頑張ったなと思います。
【5年間の勤務を経て】
私は就職時に、いずれは父の会社を継ぐつもりだと前もって会社に伝えてりました。入社時には社長から「10年間は勤めるようにと」言われ、採用してもらいました。
自分もそのつもりでいましたが、一時父が体調を悪くしたことから、結局は5年目に退職することになってしまいました。
会社との当初の約束を守ることはできませんでしたので、思い出すと今でも申し訳ない気持ちになります。しかし退社後でもその会社の下請けをさせていただいたり、建築の仕事を紹介してくださるなど、色々とお世話になっていて感謝しています。
ありがたいことです。
次回は、父の会社である内海建設に転職後の思い出を振り返ります。お楽しみに!
文:代表取締役 内海 明
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